
信心もなく、本当に無礼な私は途中々にある神仏的なこともアトラクションに見えてしまうが、それでも....やっぱり参加してみたいのである。
信じる者は救われる......かもね?と。
細い木のお札に、お願い事と名前と年齢を書き込み納める。
そうすると、僧侶のみなさんが火にくべてくださるのだという事だった。
護摩札である。
私が護摩札を買って、願い事を書いていたら、横で見ていた同行の友人が私とまるっきり同じことを札に書いて納めてくれてた!
「二人分の方が強力じゃない?」
とかなんとか言って。
サングラスを素早くかけ直し、帽子をオンザ眉毛まで深々とおろしたアタシだ。

ありがとう友よ!
天狗に出会ったら、必ず貴女を紹介します!(意味不明ながら、私からの感謝の意ってことでひとつ)
つづくよ
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あなたと私に!
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山頂までの山道の途中々に、「六根清浄」と書かれた回す石臼みたいなのとか、小さなくぐる門のようなのがある。
いちいちやってみるわたしたちであった。

ここ通ると、苦を抜けるのだそう。
ちょっとね、笑うわ。
でも信じてやるに限るのである。
御利益御利益。
.......霊剣のあらたかさは確かにあるんじゃ?
とも感じたこともあった。
それは、山登りはじめてすぐに、私は最初の石段で蹴つまずいた。
それは、足が重くって上がらなかったからである。
同行の友だちがすぐに手を差し伸べてくれて、まあまあね、転ばずに石段を登ったんだけど。
でも山登りするにつれだんだんと足取りが軽やか(というほどでもないけど)になっていったね。
もうつまずきもせず、石段も普通に上がれるようになっていく不思議。
「何かに引っ張り上げられているような....」
とすると、山の神に他ならないかもしんないけど、途中で食べたホットドッグとコーヒーが効いていたのかもしれないし、「だんだん脚が慣れて来た」(友人談)
.......のかもしれない。
しかし、ここは何が何でも高尾山の霊験あらたかさ故としたい我々であった。
つづく
(たくさん写真を撮っててくれた友に深く深く感謝)
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