昨日、31日は長野へ。
母の一周忌法要と新盆の法要をいっしょにしてきた。
お寺との打ち合わせや、出席者とのやりとり、会食のメニュー決めなど......こまかなこまかな、些細な、それでいて神経をつかわないといけないことの積み重ねのような事ごとを、姉はこなしてくれ、18人での法要は完了した。
自分の仕事と、義母さん(100才)のおせわをこなしつつだもの、「大変」といわずしてなんといおうか。
しかし、強力な協力者たる義兄さんがいっしょになってあーだこーだやってくださるので、本当にありがたい。
なかなかの名コンビぶりである。
感謝ばかりであった。
オマケに、帰りにはとうもろこしやお茄子など夏の野菜をもたせてくれた。
まあね......そんなお土産、もしかしたらあるやも......と、うすうすは思っていたので、ゴロゴロ引っぱるタイプのトランクで長野へ行った私である。
姉夫婦のところには、0才から6才まで4人のお孫が。
いっしょに住んではいないけれど、内外あわせて4人っちゃ、けっこうな果報者では?
0才から100才までを相手にする生活ってどうよ。想像つかんわ。
なんだかお腹がいっぱいになる。
朝7時の新幹線に乗って行き、2時半には帰路。
同行したのは、娘と孫っちと息子と、Pちゃん(母の姉の娘)である。
4人でわいのわいのと早朝から集っていった。
法要も終わった後、せっかくだもの、「長野らしいことでもしたい」と、まだ高いお天道様の下でモゴモゴ言い合うも、4人連れ、それも3才児込みではダイナミックな行動もとれず、善光寺参りってもの、今のこのタイミングではなあ、霊験あらたかさも減ってる感じだしなあと、汗ふきふき思う。
おいしい信州蕎麦という案も出たけれど、いやいや、会席でお腹はいっぱいである。
長野の地面そのものを歩いたのは、そうさな......500歩もなかったことだろう。
お寺には車で行ったから〜。
帰りの電車の予定時間をはやめて直帰した。
法要のための帰省だもの、そういうものよね。
多摩の家にもどり、待ちわびてくれているスーさんの散歩に出る。
こちらは午後にすっごいスコールがあったという。
地面がいい具合に濡れている。
一回忌を終え、スーさんの歩調にあわせて歩くいつもの道。
「さて」という言葉がつい口に出る。
お寺にもお墓にも母の魂はないと思った。
父母ともに居まして、の気持ちだけ増す。
さて、今日から8月。
やることがいっぱい待っている。
とにかくいっこいっこだな。
■あれ?イラストが反映されてない?
あとでもういちどやってみます。
パソコンも暑さでどうかなったのかい?
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(ウソだけど)
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