いばらの道ですでに行き倒れている私、好んでこの道を歩き始めたわけではないのはいうまでもない。
ウインドウズと手をとりあって歩んだこの12年も、私にとっちゃあそうそう楽なもんじゃなかったのだ。
特殊なことはできないけれど、それでもコピペだってもうすいすい〜っとこなせたし、原稿用紙仕様で文章だって書けるほどにもなっていた。
HPの更新だってめんどうくさくもなくこなせるしね〜。
家人の仕事のいろいろで、デザイン事務所で使っていたMacが家に持ち込まれたのは昨年の暮れのことだった。
それは新しくって、バージョンもすごいらしくて、本体もモニターもデカく重いものであった。
「使っていいよ」
と言われたけれど、いいよもなにも....、私にしてみれば棚からのぼたもちには全然思えなく、ただただ頭の中はハテナマーク?????で埋め尽くされた。
「???どうして?なんで?今使っている私のWinのパソコンになんの不便も問題もないのに??『使っていいよ』となぜにラフ〜に言われるのか?」
と。
棚からイガグリとしか思えなかったので、
「使わないよ」
と、そっけなく答え、
「変えたらどんなメリットがアタシにあるの?」
と純真無垢な気持ち質問したところ、このひとことが家人の逆鱗にふれたようで(あくまでピュアな私であったのだが...)
「ならいいっ!」
と、デカく重いMacは長く廊下に放置されたのであった。
はっきしゆって、じゃま以外のなにものでもなかった。
とある日ポツリと息子が一言、
「おかあさんのモニターは1万円。こっちのはその10倍以上するよ」
こと金銭カンケーに敏感に反応してしまう私、ちょっとだけ首が前に出た。
家人も、
「使ってよ」
と態度を軟化してきた。
なら...と歩み寄った私である。
昨日、うちのぼっちゃんの親切で、セッティングされたそれは堂々と私の机の横に。
その場所はいままでWinが置かれていた場所である。
Winは、背後の棚に今置かれているので、私は二台のパソコンにサンドイッチされた状態にある。
電磁波で気がふれたりはしないのか?が心配なところだ。
(ちょっとだけ思う。モニターだけもらっとけば良かったんじゃ?と。アフターザフェスティバルですけど。)
とまあこんないきさつがあったわけです。
今日一日さわりまくってみて、大きくてサクサクっと作動するパソコンになったことは棚からチョコレート?と思うまでには。