自分を集団にして見る。
恥ずかしさなどとびこえちまった.....なにか感動すらするのはナルっ気まんまんにありってことか。
台所の床をタワシでわしわしとこすってみがいた。
あまりにきれいになってびっくり!こんなにも汚れていたのか〜。
「なんか台所が明るくなったようだ」
と家人。
そんなにも黒ずんでいたのか〜。
ひとしごとやりとげた日曜日の満足感。
笑点でも見るか。
夕飯すんでテーブルを片付けて、さてと今宵もお一人ba-sanを....と材料をひろげる。
髪の用の原毛やらパンヤやら....。
いっぱいあるようだけれど、使いたいと思う色や材料がすでに尽きつつある。
本体の布、原毛が足りんなあ。
手芸屋さんの友だちが、いいレースの切れ端をくれた。
グレーで杉織りの背広、赤いカシミヤのセーター、「ba-sanに使ってよ」と近所の方がゆずってくれた。
またネッカチーフをQ世軍バザーで買ってきてくれた友だちもいる。
それらを初めっからba-san方のための物であったかのように私は合体させる。
そうやって、あったかいもんででき上がっていくのである。
幸せなもんつくらせてもらってんだな〜と、ますますba-san教の信徒となるのであった。
そう暑がりではないけれど、今日は半袖シャツいちまいだ。
下半身は不釣り合いなほどの防寒であるけど。
我が部屋の窓は、あまりしめたことがない。
大雨や、強風のときはさすがにしめるけれど、通常はあけっぱ。夜も。(防犯とかあるからあんまり大声ではいえないけれども)
真冬でもあけっぱのことが多い。
一人で閉め切った部屋にいると、ちっそく死しそうになる。
家の者は私の部屋のことを、
「寒い部屋」
と呼びすて、階下ですきま風を感じると、私の部屋のせいにし立腹さえする。
それは本当に私の部屋のせいだからしかたがない。
でも外出するときは、季節に合った「よそおい」で出かけるし、ちょっとの先取りさえこころがけているほどだ。
マフラーやショールをしっかりと首に巻き締めて、革手袋などし、前歯が凍るほど〜♪の寒風中をのしのし歩くのはこの上ない心地よさ。
しかし、足の指が凍えるのはゼッテー嫌なのだ。
厚手のソックスは欠かせないアイテムになっている。
アウトドア用品のお店で買ったソックスはさすがに保温力にすぐれ手放せない。
今までちょっとバカにしていたほわほわのソックス、おもいのほかあったか!でびっくり。
いっかいにかいはいたら、ほわほわがすぐにぶつれてダメになってしまうんだろ?と思ってたけど、わりとがんばっているほわほわ。
寝るときに主にはいている。
部屋は寒々、足下ほかほか....が好き。
私の頭に生えている大量の髪をまとめるにのどうしても必要なのが髪ゴム。
ほぼボタンにゴムを通しただけのものだ。
いちばん左のは、救世軍のバザーで、ゴム部分が伸びきってしまって使い物にならない風情だったものを50円で救出してやって、ゴムを付け替え、生き返らせた。
だって、寄せ細工みたなのがすごくきれいでしょ?
ラッパのマークのボタンは月光荘のオリジナル。気に入りボタン。
これらを収納する箱は、丸い木箱に包み紙を小さく切って貼りニス仕上げ。
20年前の旅の思い出の紙だ。
店員さんと包み紙上で値交渉をしたのだった。
数字のメモがかすかに見えるとこも。
美味しかったワインの栓でつまみをつけて、で、オールで日々の友。
パッケージのイラストを描かせていただいている紅茶のお店TASSEで、クリスマスティーの販売が始まりました。
いっこ315円。
スパイシーなお味!
カップ3杯分の茶葉が入っています。
こちらで発売中
★TASSE
3331 ARTS CYDへおはなし展を見に行ってきた。
ここは以前中学校だった。
校舎全体が今はギャラリーに。
教室とか水飲み場とかを生かして、展示室が連なっている。
筒井敬介さんは、脚本家であり、児童文学の作家さん。
絵本の文もたくさん書かれている。
なつかしい本がある。
原稿を運んだ茶封筒も展示。
こういうのにぐっときます。
30数年らいの友だちとビールタイムの夕方。
この人と初めて会った日のことをしっかりと覚えている。
立川の一軒家。
網戸がバタンバタンするハウスでだった。
友だちの友だちというかんけーで知り合った。
網戸をバタンいわせて入ってきた人の第一印象は、「小さい人だな」であった。
下北沢の駅前で待ち合わせ、ビールのお店まで雨の中傘ならべて歩いた。
歩きながら思った。
あれ?小さくないじゃん。私がちぢんだのか?
ビール3杯ずつ飲んでの帰り道、また駅までの道を歩く。
肩の位置の差を見、物差しでは計りきれない存在感のスケールだと気づく。
38年という年月は、色んな種類の荷をそれぞれに配り、背負わせた。
そして背負う力を身につけさせもした。
帰宅して、一人でワインを一杯飲んだ。
「友だちでありがとう、乾杯です!」ココロの中でいった。
網戸がバタンとまた開く。
茶碗やお皿を割ってしまったり、ふちのところがちょっとでも欠けたりしたら....潔く処分する!をモットーにして今までやってきた私だ。
がっかりの気持ちも素早く処分処分と。
それでも思い出がある陶器や義母がこねて作った茶碗を処分するときはさすがに心が痛んだ。(一日で忘れるけど)
先日、近所の手芸屋さんで「金継ぎ教室」が開かれているのを知った。
ちょうどその日が開催日だったで、ちょっとのぞかせていただいた。
金継ぎ、その名前は知っていたし興味もあったけれど、やるぞ〜!な強い気持ちもなく、いちばんのポイントは使うのは「金」だもの、材料をそろえるだけでもそーとーに値がはるはず。
お安い茶碗修理にそうそうはかけられないし....との思いもあって手を出せずにいたのだ。
のぞかせていただいた教室で、材料をみせてもらった。
!!!んん??お安いじゃないの?
漆の代用の化学なパテ、本物ではない金色の液体のようなものが材料だった。
しかしそれらは食器には向かず、花瓶とか飾り物の修理用であった。
だよね〜純金はやっぱね〜...と教室参加はせず(今日の今日だったしね)帰宅した。
それでも気になり....、ネット検索して「金継ぎ」についていろいろ調べてみた。
プロの職人さんのブログも読ませていただいた。
そう簡単なものではないことがわかる。
しかし、できなくもない作業であることもわかった。
ネット通信販売では「金継ぎセット」なる素人向けのセットもいろいろ売られていた。
漆、金はもとより筆、小皿、ゴム手袋などすぐさま作業にとりかかれる親切セットもある。
手順を書かれたサイトもあった。
そして!!なにより材料を個々で少量購入すれば(小皿とか筆などは持ってるし)3000円以下でそろえられそうだということもわかった。
さわって目でみて確かめたい方針の私としては、こんどハンズあたりで物色してこようと思っている。
お茶碗わったらドンドコショ♪
金継ぎができたら、がっかりより嬉しい気持ちが湧くかもね〜。
塩糀を作るときはいつも、金沢に住むお姉さんから送っていただいているのを友人から分けてもらっているのだ。
味噌を仕込んだのも金沢うまれの糀。
いつも分けてもらってばっかじゃ悪いなあ...と思ってはいたけれど、すごく上等な生糀なので頼りきっていたのだ。
しかし私の実家は長野。
味噌で名をとどろかせている県である。
きっと旨い糀はどこかに売っているはず!とふんではいた。
通信販売もあるだろうが、私としてはお店でぜひ手に取ってたしかめて(手触りとか匂いとかね)買いたいとも思っていた。
その道にくわしい友人(調理師学校の校長先生)にメールでたずねてみたところ、二三のお店をすぐ教えてくれた。さすがだ!
一昨日、長野駅に降り立ってすぐさま教えてもらった一件めの候補「東急デパートの地下」に行ってみた。
あった....が、それはスチロールのトレイに真空パックされており、私のイメージとは少しちがっていた。
でも生糀にはちがいなかったけど。
で、買いませんでした。
そして今日、帰る電車に乗る間際に(雨が降り出してきたけどめげずに)二件めの候補の「糀屋」さんに寄ってみた。
あったんですね〜♪イメージ通りの生糀が。
薄い紙袋に入った糀、息してますぜ!って風情で数袋店頭に並べてあった。
匂いと手触り(袋ごしだけど)をしっかり確かめられた。
「糀屋」さんはお味噌やさんだ。
裏が味噌蔵になっていて、おいしそうなお味噌が量り売りされている。
由緒、もんのすごく正しい生糀。
そうそうこれこれ、これですよ...とアタシは嬉しがって二枚買う。
一枚は友だちの分。
(糀の単位って正式には「枚」らしい...。一枚は約700g)
どーです?このしっとりした見ため。
どう見てもおいしそうじゃありませんか?
金沢の生糀とは少しちがった感じもあり、次回つくる塩糀がひじょうに楽しみだ。
「糀屋」さんの奥様が
「すごく甘くておいしい甘酒ができますよ」
といわれる。
お味噌や塩糀をつくる予定ですとお話しすると、お味噌つくりのポイントも教えてくださった。
そのポイントはまた後日....。
久しぶりに帰省したら、駅前の広場付近のあちこちに囲いがしてあった。工事中の。
噴水は水も枯れ果て中心に立つシンボルの如来様もいなくなっていた。
(善光寺のどこかに一時避難しているらしいと姉からの情報でちょっとホッとした)
以前大改造され、今の形になった長野駅、私が子どものころは鳩がたくさん集まっていたところだ。
放射状の電気の棒(蛍光灯だったのか?)にずら〜っと並んでとまっていた。
もちろんその下には糞がいっぱいあった。
切符を売る小さな窓。
木製の改札口。
木製のしきりのところに座らせてもらって、もうすぐ出てくる伯母やいとこをウキウキしながら待っていた子どもの私。
今ホテルになっているところは、父の勤め先があったところだ。
頑丈そうな太い木の階段が三段....いや四段上ると薄暗い感じの入り口へと続く。
そんな駅風景がきれいに消え去り、今風な駅舎に生まれ変わったのはいつごろだったのか....もう思い出せもしない。
かすか〜な記憶さえもどんどこ薄れていく。
新しい風景に書き換えされると、以前の風景の記憶はふっとんでしまい、「上書き保存」しかできない悲しいアタマの私だ。
駅前広場のところも新しく整理整頓され今までとはまたちがう風景になるのだろう。
避難中の如来像がもどってきたら如来像込みの空を見上げたいと思う。
時々の帰省。
どんどん意味がかわっていく。
帰る場所もかわる。
しかし長野駅についたとたんにかぎとる匂い、それはかわらない。
そして「別名で保存」されたかすかな思い出をなんどもなぞり、私の入り口とする。