「私お味噌つくろうと思うけど、あんたもやる?」
やらいでかいなっ!
塩糀にどっぷりとはまっている「糀の友」が、そう声をかけてくれ、大豆と生糀を送ってくれた。
大豆500グラム、生糀500グラムとレシピもいっしょに。
大豆、糀、塩だけで本当にお味噌がつくれるものなのだろうか?と一瞬思う。
白っぽいもの同士をまぜあわせただけで?お味噌の茶色はいったいどこからくるのか....と。
そんなことを考えていたところ、じわりじわりと眠っていたような記憶がよみがえってきたのだった。
ながの、やなぎまち、祖父のいえ、うすぐらい蔵。
並ぶ樽。
台所と土間のような空間で続いていた怖いほどうすぐらい蔵は、お味噌の糀と、カビ臭いにおい。
おばあちゃんはお味噌をつくっていたんだったと思い出した。
私にとってそれは「おばあちゃんちのにおい」そのものであったのだ。
子どものころだったし、仕込むところを見ていたのか見たことはなかったのか....そこんとこ...覚えていない。
仕込み方も知らない。
ときどき祖母の家で食べたお味噌汁は、ナスやにら(生えていた)が主で、たっぷりと大きなおわんにつがれてだされた。
つぶつぶのいっぱい入っているお味噌汁だった。
届いたばかりの大豆を一晩水につける。
おおきくふやけていた。
翌朝、いそいそとそれを家の二番目におおきい鍋で水煮する。
三時間以上かけてとろ火でゆっくりと。
銀色夏生の文庫本を読みながら待つ。
おばあちゃんは何をしながら待っていたんだろう。
きっと読書などと、そんな優雅っぽい待ち時間をすごしたりはしなかったのではないかと想像する。
煮え上がって、あら熱をとった後つぶしにかかった。
つぶつぶが残るように注意をはらいながら。
甘くさい大豆のかおりが私の台所を支配する。
「しょうゆ豆がね...」「たまりを...」「味噌づけに...」「おてしょを...」
祖母と母の話し声がした。
おばあちゃんの家の台所にワープする。
黒光りする木の床。
すすけたカマド。
新聞紙に包まったおおきな白菜、ごろごろごろ。
わけわからんが、泣きたくなった。
泣いたらあの時のように「泣くな泣くな」といって、梅酒の梅の実を松模様の灰色のおてしょにひとつ取ってくれただろうか。
くれる人も亡いので泣かんとこう。
糀と塩をせっせと混ぜ合わせ(この作業は塩糀作りで訓練ずみ)、つぶした大豆と合体させる。
手のひらでぎゅっぎゅとにぎりながら。
袋にとじこめて出来上がりを待つ体勢をととのえた。
ととのえた袋をにやついてなでていたら、息子が、
「暗いところに静かに保管しといた方がいいんじゃないの?蔵とか」
とクールに正論を述べた。
蔵ないし。
流しの下のところ(調味料のびんの入ってるとこ)に入れよう。
袋をハンカチで包んだ。
ハンカチに包みたい気分だったからさ。
お味噌作りにさそってくれ材料を分けてくれた友よ!!ありがとう!
きっとおいしくできる!
なんたって一回ワープしてきたからなっ。