義母さん、
「私、なぜかもう涙が出るということがないの。歳かしら?」
という。
息子が死んだときもまったく泣かなかった義母だ。
「悲しすぎると、涙も出ない」ってこともあるだろうけれど、義母さんはそれはそれで長いこと気にかかってたことらしい。
「泣けない」ということは、けっこう辛いことらしかった。
私は、悲しいにつけうれしいにつけ、ボロボロと目から鼻からしょっぱい水を流し放題にしているけれど、それの水門が開かない義母、それはそれで辛いことだろうと察するよ。
「いつごろから泣かなくなったの?」
と聞いたら、
「お父さん(←夫ね)が死んだときは泣いたかもしれない」(50年以上前)
とぼんやり、かつ、しみじみしていた。
「涙出るのは、目薬さしたときだけよ」
と、トホホな顔して笑うが、でもそれ涙とちがうし。
余り目薬だし。
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泣くということは良いことだと思う。
泣ける体力と意思や感情の機能が作動するということ。
泣くということはまた「娯楽」でもあるよね。
「全米が泣いた!!」とか「気持ちよく泣ける映画!!」とかね、泣くということが娯楽につながる。
泣くということを恥ずかしいとか、がまんしようとか思わないことだ。
出るうちは出して出して出していいのだな。
いずれ涙も出なくなる日が来るらしいってことを義母さんが教えてくれた。
ありがたや〜〜♬
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