負負負負負、不不不不不な気持ちが充満しているこのごろである。
墓石の熱さをおぼえているお手々のしわとしわを合わせてみても、しあわせ〜っとはならん。
友だちが、
「これをba-sanにつかって」
と、お宝モノを送ってくれた。
お宝モノをひとつひとつたなごころに乗せてはその温度を確かめる。
負と不がいっこずつ、いったん遠のく。
声に出して、負負負不不不ふふふふふ〜〜ぅっと最後は息のみのふ〜ぅに。
お手々をぐーにして、ぐっと力を込めたとたん、ついうっかり負と不をまたにぎりしめてしまった。
無駄ないきみを抜くってどうやるんだったっけな?
まだ生まれ来ぬ私のba-sanたちが教えてくれるかもしれない。
明日。明日。明日。
朝7時半に出発のぉ〜夜8時に帰宅でぇ〜...帰省した今日。
母、姉、義兄、姉んとこの息子&その息子(2歳)と、フーちゃん(犬)は車二台に分かれて乗って、お墓参りに行く。
炎天下の墓地は、乾いた「墓地」って感じ。
お墓ごとにお花が供えられていた。
あの花....この後....熱湯に浸かって朽ちてくんだよなあと思うと、ややちくちくな気持ちが湧く。
墓石に手を当ててみる。
タマゴが焼けるほど〜♪のエンジンフードなみの熱さであった。
なんだかこう、こういうの、もやもやが残るのである。
どう説明したらいいんだかは不明。いつも不明のままもやもやっとする。
お昼はおいしいおそば屋さんへ!
全然おいしそうに撮れてなくてすみません。
いつものように食べ始めてから、あ、写真、と思ったもので。
豪華な天ぷらも時すでに遅し。
えびちゃん一本残すのみの状態でのパチりと。
(もちろんそばにこのように乗っかてたわけではありません。アタシが乗っけただけ)
とうもろこしは店主からのサービスで。
甘くてやわらかいとうもろこしだった。
そば湯もおいしくて、ごくごく飲んできた。
車一台と別れてから姉と二人だけで、友人の展覧会に行く。
「クラバヤシマユミ グラフィックデザイナーとしての創作」
という展覧会。
デザイナーであり、またカメラマンでもあり、またイラストも描かれるクラバヤシ氏。
展示方法もまたとても素敵でじろじろと見た。
小さな写真を鉄のボックスに納めてあるのが興味深かった。
「大自然を小さくとじこめました」
とうこと、しっかり虫眼鏡でのぞきこんできた。
母にba-san人形を渡す。
本物のばあさんがba-sanを持つと、ba-sanはかすむ。
ザ•サマーという感じはする。
黄色の花がなんともかわいいよ。
庭のサンダルにたくさんしがみついていたセミのぬけがらは、なくなっていた。
たぶん....すずめが持ち去った?グッドジョブ!
小さな庭でも夏の運営は満々に。
バナナの葉っぱ柄のスカート、いつもは、オレンジ色や赤のTシャツを合わせて南国パッパラ気分を出しているけれど、今日は黒のTシャツでチョイジミに着てみた。
このTシャツの背中は、真ん中がぱっくりと開いていており、首の後ろんとこでヒモで結ぶようになっているのだった。
なのでタンクトップを重ねている。
グレーのタンクトップ、前面では裾の部分と肩のところからはみ出させている。
背中部分では面積広く見えている。
黒、グリーンとキッパリ色での上下なので、間に中間色を挟むと落ち着くような気がしてグレーにした。
息子が高校時代に使っていた水筒、今では私のお出かけ用に。
こんな服装の時にはカラフルなバスケットを持ちたいとこだけど、ないので黒かごでおとなしく....。
あ、黄色のバスケットがあったな〜!(高校時代に買った40年物の)
出しておこう。次回はそれでいこう。
写真に入ろうとしないスーだった。
「さぶちゃん」とみんなが呼んでいるから「さぶ」という名前だとずっと思っていたけど、正式名は「サブリナ」だと。
落差ありすぎない?
こんどからは「サブリナ」と、正しく呼ぼうと思う。
朝に昼に夕に、バナナミルクをつくっては飲んでいる私である。
バナナ、牛乳、氷2かけら、イナアガーでつくった寒天ゼリーをミキサーでンガガガア〜とやるだけのもの。
(寒天ゼリーは最後に入れて、ちょいガガでね)
コップに注ぐと持ち重りがする。
ひとえに寒天ゼリーのせいである。
よって、腹持ちもとてもいいのである。
メロンとか桃とか、そういったセカンドフルーツがあればあったでそれはそれでまた一段となのだけれど、バナナだけで充分おいしい。
バナナの力によるところが大きいのだ。
毎日飲んでいると、好みのバナナがわかってくる。
シミが浮き出してるようなバナナがよろしい。
結束力もすでになく、皮の質感もややへたれてるのが大変よろしい。
グッドなバナナは右側のである。
左側のは、5本200円。
グッドな方は5本で30円。
味もプライスもグッドなんである。
しかしいかんせん...5本30円は「先」が短いので、すぐさま冷蔵庫に保存しとく。
皮の色はすごく悪くなるけれど、中身は保たれるもの。
5本は二日で消費できるので、問題もないし。
味わいのあるバナナミルクのできあがり。
茶色いシミ、へたれだした皮肌。
そういった領域にふみこんでこそ出てくる優しいスウィート。
...........先はいわずもがなってことで、ひとつ。
ゆうべのご飯と、かなり前の山椒の塩漬けとじゃこ、みんなむすんでおいしい一品。
67年前の今日、こんなのをむすんでた人もきっといたはずだな。
おむすび持って、空見上げ。
たっぷりあるぞ!の塩糀。
丸い方は前回(2〜3ヶ月前)ので、四角い方が今回仕込んだ塩糀である。
温度も湿度もまんまんにある季節ではおどろくほど発酵が早い。
この「早さ」はうまみに関係してくるものなんだろうか?とふと思う。
いちばん最初に作ったとき、まだ糀というものを良く知らなくて乾燥した糀でつくっていた。
お米のようにさらさらとした状態のもの。
寒い季節に始めたので、発酵に2週間、いや3週間ぐらいかかっていたと思う。
(「完成」状態は既製品の塩糀を参考にした。)
充分おいしかったけれど、友人から分けていただいた「生の糀」を使って作った塩糀とは差があった。
生ならではのビックリする味だったのである。
まろやかで、なんつうかこう、手を取り合いたいというか...。
「うまみ」を説明するのはとってもむずかしいんだけどぉ...。
今思うのだ。
乾燥した糀をじっくりじっくり発酵させたものの方は、味がどん深かったと。
生の糀で、わりと早めに発酵が完了すると、ライト?な味わいになる。
それに加えて塩の加減もいろいろにすると、用途もいろいろに変わってくるのだった。
たとえば..である(すみませんねえ。塩糀について語りだすと長くなるもんで)豚肉を生姜焼きにするとき、塩控えめな塩糀をしばらくまぶしておく。
そうすると肉の旨味はぐぐんと引き出され、柔らかくもなる。
しょうゆの風味は欠かせないもんだから、しょうゆの塩分と塩糀の塩分の.....そうそう!塩梅しないといけないから、塩控えめの糀が必要となるんだな、これが。
そして糀の風味は少々にしておきたいので、ライト糀がぴったりなのだ。
味のどん深い塩糀はなんといっても漬け物に向く。
一晩野菜をひたしておけば、うまし漬け物の完成である。
冷蔵庫の中の塩糀のビンを並べ替えながら、山椒のビンを見つけた。
じゃこもあったので、フライパンでから煎りした。
これからおむすびを作る予定である。
ばあさん人形の頭部ふたつ、未完成のまま放置してあるんで、それは今晩人形にしよう。
つくるのが楽しければ、きっとなんでもおいしいくできるのである。
親方は今日も現場へ....。
本日は床貼りの予定だ。
30センチ四方のタイルを四角い部屋の床に貼っていく段取りをつける。
今日の作業はMARIKOさんと私の二人だけ。
現場に到着してしてからの小一時間は、まず、コーヒータイム。
おいしいパン屋さんに寄り道しいくつか甘いパンも買ってもらったし。
コーヒータイムはとても大事なのである。
作戦会議というところだ。
さて、まず、と、ばあさん話で45分ほど盛り上がり、その後打ち合わせる。
基本は、部屋の中心から貼り込んでいくという。
(ネットの参考書しらべではそういうことだった)
部屋の中心地点から正しい十文字を描き出し、その十文字に添って一枚一枚タイルを貼っていくというのだ。
そしてはじっこの余りのスペースにはタイルをその寸法に切り出して埋めていくのが正攻法。
さて墨ツボの登場である。
現代は墨じゃなくて、赤いチョークの粉をケースに入れて、それで糸を染めることになっていた。
ピーンと糸張って、ピンッとはじくとピシッと板にラインが引けるという憧れのあれである。
嬉しくって、チョークの粉で指を真っ赤に染めながらも早々に準備する。
ピーン&ピンッ&ピシッを早くやってみたくてたまらなくって!
が、しかしである....。
そうやって中心から貼ってってでは....余り部分が部屋の四辺すべてに発生する.....とチョコパンを食べながら我々は気づく。
加えて古い家だ。
部屋全体が正しい四角ともかぎらない。
ひずみ?ゆがみ?ガタ?そういった現象も、目視でもやや確認できる。
余りの部分が変なカタチに残ることは必至だ。
う〜む、いちばん目立つ一辺(入り口付近)が継ぎはいだ変なカタチのタイルになってるのはいかがなものかとコーヒーを飲みながら案ずるわれわれ。
「そこんとこいちばん大事じゃない?」
「そうだよね、せめてそこんとこだけは継ぎはぎナシでいきたいよね」
とリンゴパンをもぐもぐしながら作業進行を考える。
で、スタートはいちばんメインの入り口の一辺からが良かろう。
そしてある程度中心付近までタイルを貼り進めたら、今度はそこから三方に向かって貼り進めようという基本方針をとったのである。
結果、それは大成功をおさめた。
結果、現代の墨ツボの出番なしとなったのはひじょうに残念なことであった。