長野の友だちが、栗の生菓子を送ってくれた。
さっそくお抹茶としっしょにいただく。
おいしい!に決まってまっせ!混ぜもんナシの栗100パーセントだもの。
季節の生菓子、ぜいたくである。
毎週、金曜日のお約束は「どんぐりパン」の食パンである。
近所の手芸屋店で、金曜日だけ店頭で売られるパンたち。
調理パン、バターロールなど種類はあるけれど、うちのお気に入りは食パンだ。
なにもつけなくておいしい。
賞味期間は二日ほどだ。
そこんとこも信頼できるとこ。
妙な混ぜもんなしってうれしい。
それをうれしがる時代になったのが悲しいような...。
おいしいおいしいと季節のもの、新鮮なものをいただくのが、ふつーでありたい。
左から甘酒、しょうゆ糀、塩糀。
「糀友の会」の会長のご尽力で、私はいつも上質でおいしい糀の恩恵にあづかっているものである。
今回も、富山うまれの糀を入手したと、またわけていただいた。
さっそく甘酒をこしらえた。
甘酒は、そのものを飲むだけでなく、料理にもつかっている。
鶏肉のそぼろなどつくるときに、みりんや砂糖のかわりに入れて調味するのだ。
味のまろやかさが断然ちがってくる。
煮物には、糀しょうゆと甘酒を。
アタシはどしどしつかう。
しかし、一回の料理につかって摂る糀と、甘酒一杯でいただく糀の量の比でいったら、甘酒の圧勝である。
はんぱない量の糀を飲んでることになるのだ。
糀の身体に与えるすばらしい効能はたくさんあるのだけれど、「身体にいいから」という理由だけではこうも続けることはできなかったことだろう。
「おいしいから」が継続の根本であると思う。
甘酒を毎日いただいているけれど、飽きることがない。
それは米を原材料としてるからだよね!糀って。
お米、飽きないもの。
画像の糀しょうゆには、糀がたくさん入って写っているけれど、糀の粒の入ってないしょうゆ(上澄みといいましょうか)は、刺身しょうゆとか漬け物にかけるとか、粒が気になる食材につかっている。
旨味はふんだんに出ているし。
家人は愛犬スーをなでながら、
「スーには悪いところがひとつもないな、ホントにいい犬だな」
とよくいっている。
私は糀をなでながら、
「糀には悪いところがひとつもない、糀ってすごいな」
とつぶやくばかりだ。