半分に切った二本のマフラーをつなげてウエストギャザーにしたものだ。
これが本当に暖かくて、(そりゃそうだ、カシミヤのマフラーだもの)コーディロイパンツと重ねて下半身を温めぬいている。
もうでかける時もはいてしまうよ。
午後から打ち合わせ。
若い編集者さん二名と。
小田原駅まで迎えに行くも、なんとなんと腕時計のおくれでおくれてしまうというミス。
振ってゼンマイが巻かれるシステムの腕時計は、最初にぐんぐん振り貯めて置かないといけないの怠ったせいだ。とほほのほ。
うちで4時間ほど、あーだこーだなんのかんの.....と話しをする。
もちろん雑談のような、個人的身辺話しなども。
そんな会話の中からしか生まれない「なんらかの芽」がある。
今回もなにかいいものが生まれそうな予感。
大事に育てたいと思う。
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話しの流れの中で、物を処分するのは難しく、なかなか捨てられない.....ってな定番といえば定番な断捨離関係の話題も。
着ないけれど母や祖母からもらった着物は困り物。
手編みのセーター、それもめっちゃ手の込んでいるセーターは捨てられない。
高かった(高価)との思い出のあるものも捨てにくい。
などなど、共感のうなずきで首が痛くなりそうであった。
昨年引っ越しで、いろいろ整理していた時にも、母のたくさんの手編みの物に迷っていた。
母が孫らに編んだ小さなニット類はたいへん可愛い。
細かな編み込み模様に気持ちが込められているように見えたりもするし。
私や家人に編んでくれたセーターもあった。
そんなセーター類、持っていたいか、捨てられるか・・・の二択である。
保管し続けたい気持ちは山盛りあったけれど、ダンボール箱三つ四つのはなかなかのスペースを要した。
そんなオロオロと迷える子羊状態にあったとき、友だちがかけてくれた言葉。
「編み物って編んでるとき楽しいのよね。孫のモノを作れるよろこびっつーのもあるし。それで作った人は満足したはず。だから捨てていいのよ」
心のウロコがハラハラと落ちてく思いがした。
「捨てていいのよ」の理由が私は欲しかっただけなのかもしれない。
それを明確に説明してくれた友に感謝しながら、処分した。
新しいモノを手にしたときのドキドキするほどの嬉しさと裏腹な捨てるときの残念さ。
その両方があってこその「モノの存在」なんじゃないかと思う。
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