「着る」ということ、それは年々意味を変えるものだなあと実感する。
今日着た紺サージのワンピースは31年前の。
下の写真は同じワンピースを着た25歳の私です。
ものもちの良さをじまんしてるわけではないけどね。
毎日着るものを選ぶとき、寒い暑いを考慮しながら、無意識のうちにもきっと自分に何かを期待してるんじゃないか?と思うのだ。
がんばれ自分!まだまだいけるぞ我!気持ちよく今日も一日やれますように!てな感じで。
このワンピ、31年前のあるパーティーのタイミングで買ったものだ。
初めてのワイズだった。
私は元気満々であったし、意志は強固なそのころ。
このワンピを着るたびに、そんなことを思い出し、昔の自分に励まされる思いすらする。
パーティー着にしては地味な一着を選んだもんだ。
ケチな私だもの、ずっと着続けようと思ってのことだったのかもしれない。
歳と共に同じ服でも、その意味を変えていく。
服を通して「今の自分」を改めてながめ、「着る」ということは「生きていく」と同義語か?と大上段にかまえてみる。
パーティーでは小さなバッグを持ちハイヒールをはいていたけれど、今ではたっぷり中身の入るバッグを持ち歩く。
靴はぺたんこで。
シワの寄りはじめた首回り、レースのブラウスを重ね着してやんわりとさせる。
もっともっとばあさんになったら、もっともっと違った着方ができる自信があるから、ちゃんと年波に乗りたいと願う。