無印のTシャツ(¥1500)、レーヨンのプリーツスカート(古着)、ハシュパピーの歩きやすいスエード靴(姉のお下がり)。
アクセサリーは、黒いビーズ付きピアスとシルバーのブレス、茶色の犬のブローチ。
こういうの、ホント「どうでもいいかっこ」っていうんだろうなあ....。
どうでもいいかっこにこそ、自分の本質があらわれるような気がして怖し。
和服を着るとき、振り返ってはかがみを何度も見る。
帯、えりの抜け具合などちゃんとなってるかなーと思って。
和服は後ろ姿がうんと重要なのだった。
和服では、年齢によって許される帯の結び方とか、お太鼓の大きさ、既婚か否かによる袖の長短などがある。
そんなので、後ろ姿でもだいたいの表示がなされているのでは?と思う。
洋服よりはずっとわかりやすい年齢記号なのかもしれない。
洋服は、和服ほどの堂々な「後ろポイント」がないしね。
ふだん洋服で、後ろ姿と前から見たときの落差というのは、「顔見てビックリ若作り」のことだ。
ヤングの皆さん向きの服を着ているので、そう思って正面を見たときの驚き。
特にスタイルのいい、そしてスレンダーな人は、いろんな洋服を着ること(入る)ができるから、年齢を重ねても「20
代の時とサイズ変わってないの」の由美かおる的発想で顔と落差のある洋服を着てしまう。
そんなんで人ビックリさせちゃいけない....と思う。
が、しかしそう思う反面、私は大屋政子さんを思い出すのだ。
「うちのおとうちゃんがね〜」のフレーズで有名だった大屋さん。
ものすごく特異なファッションだったけれど、本当に着ることを楽しんでいるんだな〜と思って見ていた。
真似したいところはなかったけれど、着ること対しての心意気はおおいに感じ入った。
好きな服を好きなように着る、「好き」は不動。
そんな着方でずんずん潔く着て生きたっていいではないか、とも思うのだ。
まあ彼女は特別中の特別な人だったけどね。
「年齢に合った服」というのは、なかなかに難しいもんだ。
先日友だち(編集者)と話した時、
「そういう服、中年に似合う素敵な服はちゃんと売っている。質もカットも身体に優しく添うような服はあるのよ」
と友だちはいった。
そしてこう付け加えた。
「それ、けっこうな高額」
と。
それ、けっこう我々にはネック!
ではどうしよう....。
.....続く。