気持ちがど~んと落ちたり、ま、今日明日ぐらいをふつーに過ごせればいいや~、ラルル~♪となったり、こりはこりは更年期特有の症状?もしくは深まる秋のせいであろうか。
今日は、午前中から着付けの教室へ。(気持ちは下方向なれど)
アタシを含めて生徒は四人だけだった。
「この歳になるとねー、自分の用事じゃなくて、親の都合(病院へ連れていくとか、デイサービスの都合と・・)とかで急に来られないことも多いのよ」
と先生。
60前後の生徒はね、やっぱり優先順位がね。
先生も生徒もそんなお年頃だもの。
生徒が少ない分、一人ひとりへはより手厚くしてくださるラッキー。
ふくろ帯の手ほどきをみっちり受ける。
お太鼓を仕込んだ帯を、よいしょっと背負うように持ち上げるところが醍醐味。
今日、わかったこと・・・、それは鏡よりカンだなってことだ。
鏡を見い見いやると、逆手に写るとこがなんともイラつくところだからだ。
鏡は確認するために見る程度がいいのかな?と思う。
「人差し指の手つきがよい」
とほめられる。
気持ちはウキキッとアップする。
プチ目標をもひとつココロに新に掲げた。
●来年のお正月には、自分で着物を着て、家人とどこかに詣でよう!
年波世代、自然現象に気持ちをゆだねてばっかではおれない。
おのれからの引き上げ作戦を考案せねば!
黒い服もジーパンも、昔からなじみの深い服だ。
ジーパンに黒色のタートルをよく着ていた時代もあったし。
便利だしそれなりにサマにもなっていたような気がする。
それは気負いのいらないおしゃれ、シンプルさが着る人の個性をより引き立たせるのにも通じていたと思う。
歳と共にそのシンプルさに貧相とか寂しさが見え隠れしてくるはどうしてか。
それは「負けてしまうから」だと思う。
いいたくないけど、色々目減りしちゃう年代になっていくんだな。
気力とか体力とか色々。
くすみがちな肌になりつつもあり・・・。
跳ね返せなくなるのだ、色のチカラに。
昔と同じ気持ちで同じアイテムのものを着れば着るほど、その落差に脅かされる一方だ。
「年波の芸」発動の時は今!と思う。
便利な色ってところは保存しておいて、これからは挿し色程度に使うのがいいのでは。
黒色の大舞台は冠婚葬祭。
そのとくに葬祭カンケーへの顔出しが多々になってくる年代だもの、普段に着る黒は明るさと楽しさを意識的にプラスしてかなきゃ!と思う。
元来黒色は主張の強い色だ。
少しの量でもその色の存在感はただものではない。
昔は何気なく手にとっていた色こそ気をつけないと、嫌~なところを際立たせる意地悪な色になりかねないもの。
ジーパンも同じと思う。
黒色、ジーパンといった昔から「愛している」ものに対しては「愛の見直し」をしないといけない年代に入ったんだと肝に銘じたい。
年波と、おしゃれの波に乗り損ねないように。