ししゅう糸を買いたかったので、雨のなか手芸店にいってきた。
黄色の糸を買ったあと、古本コーナーを見る。
このコーナーの本は、近所の人たちからの持ち寄り...というか寄付である。
どれでも一冊100円だ。(売上金はさる施設に寄付される)
ロアルド.ダール作の「マチルダは小さな大天才」は、たしか子どもが持っていたと思うけれどすぐに出てこないので、私用に買うことにした。
クェンティン.ブレイクの挿絵の本はおもしろいにまちがない。
ストーリーはどんなだったかな?とすぐには思い出せなかったが、二三ページぺらぺらとしたとたん!思い出した!あの痛快感がよみがえる。
挿絵もなつかしい。
雨は午後になってから風をもともなって強くなる一方だ。
五穀米のおむすびで遅めなおひるをする。
背守りのししゅうをはじめるか、マチルダいくか。
ずいぶん前に買った花もようのコート。
もともと古着だったのですごい年季が入っている。
よく柄物は飽きがくるというけれど、これはまったく飽きないでよく着ているものだ。
ボーダーシャツと合わせるのがいちばん好きな着方で、コートというよりカーディガン感覚で羽織っている。
裏にタグが付いていないし縫製の仕方が、雑...というか、私から見てもアマチュアっぽい作り方に見える。
そして、そういうところもまた大いに気に入っているところだ。
公園の桜はちらほらと咲きだした!
朝な夕なにスーの散歩にでかけては、桜状況を確認する。
春先になると、スーはやる気まんまんになる。
木の根元調査は、鬼のようになってクンクンとしている。
すれ違う犬に向ける目の輝きもいつもとちがうし。
春がきましたね!
真っ赤なコート、最近似合うようになってきたと鏡の自分に思う。
ショールとタイツを黒にしてコントラストを楽しむ。
ショルダーバッグの細めの肩ひもを斜めに走らせて、上半身と下半身をつなげる役目にする。
靴は先のとんがったウエスタンブーツをはいて、「クセ」付けを。
肌寒いような小雨の日。
公園の桜のつぼみは、妊婦さんでいえばすでに臨月状態である。
今日か明日か...。
来月、一つ歳を重ねた私の新学期が始まり、そして還暦さんの隣の席につく。
還暦さんは、
「来年は、このお席をさしあげますからね」
と笑顔でいってくれる。
赤いコートが似合うまでに年代は実力をつけた。
良い加減に着こなそうとやっぱり思うのだ。
2014年3月24日
水丸さんが描かれた「芝生」のイラストを見たのは、ずいぶん前のことだ。
それは、かわいくていきいきとした芝生だった。
こんな風に描けたらいいなあ...と思った。
ものすごく「良い加減」の点々。
安西水丸さん、かっこよかったです。
合掌。
春生まれの孫っちとスーに、
「こっちが梅でこっちは桜。春に咲く花だよ〜」
と教えたが、とくに関心はないようだった。
二本が同時に満開で、めでたいというのに...。
三歩ほど歩くようになったという証拠のムービーを見せてもらった。(実際歩行は未確認)
あと二週間ほどで1歳の誕生日だ。
プレゼントは、Tシャツにしよう。
Tシャツに「背守り」として、なにか刺繍をしたいな〜と。
こんな展覧会が大阪で開かれているということだった。
近くにきたら、是非見にいきたい!
「背守り 子どもの魔よけ展」
http://www1.lixil.co.jp/gallery/exhibition/detail/d_002767.html
洋服棚の整理をしたら、ずっと着ていない花柄のシャツがあった。
ほどいて、なにかほかのきれと組み合わせて、スカートにできないかな?と考える。
むずかしいだろうか......。
長そでのボーダーのワンピースは着られる期間が少ない。
いつ着てもいいように思うけれど、思い込みか......ぜひ春先に着たいと思ってしまうのだ。
今!がちょうどいいのだけれど、肌寒い時間があったりと、一日の中でも気温差がはげしくって、上にはおるものがほしくなる。
透かし編みの三角ストールは、モヘア入りのニットだ。
肩にはおるとぬくぬくする。
ボーダーが透けて見え隠れするとこも、今!にちょうどいいように思う。
素足に白スニーカーで決めたいところだけれど、それはもう少し先にとっておこうと思う。
足首が冷えるが耐えられないってこともあるし。
お約束の組み合わせで、バスケットや赤いバッグを持ちたいけど、決まりすぎはつまらないしね。
茶色の布袋かワニ皮バッグなどどうだろうかと考えたり。
白の厚手ニットのヘアバンドもまだ外せない。
あたたか小物とうまく合わせて、三寒四温を楽しみたい。
こう風が強くちゃ、こう花粉やら砂ぼこりが舞っていちゃ.....花粉症でなくともまぶたの開閉がしにくいのである。
キラキラの付いたのと、まんまるのサングラスを交互にしている。
わりとクセのある二つだけれど、地味な顔にはこのくらいがちょうどいいのでは?と思ったりもする。
気に入っている二点。
よく乗車するバスの窓から見える、ある気になる建物。
その建物の名前は「糀屋ビル」というのだった。
その昔、いやそう遠くない昔はきっと糀屋を営んでいたんだろうな。
今、その中型のビルには、不動産屋と学習塾と居酒屋が入っている。
駅前に建っているから、そういった顔ぶれになるのはいたしかたなかったのだろう...と推測。
先人(ビルのオーナーかもしれない)の思いを名前にのみ残したビル。
作る人がいなくなっちゃたのか、採算がとれなくなったのか、貸し店舗のあるビルにした方が、儲かるからか。
宿っていた糀菌、いまいずこ....。
どんな味の糀だったんだろう。
「糀屋ビル」はいつも右から左へと動いて、バスの窓から消える。
左から甘酒、しょうゆ糀、塩糀。
「糀友の会」の会長のご尽力で、私はいつも上質でおいしい糀の恩恵にあづかっているものである。
今回も、富山うまれの糀を入手したと、またわけていただいた。
さっそく甘酒をこしらえた。
甘酒は、そのものを飲むだけでなく、料理にもつかっている。
鶏肉のそぼろなどつくるときに、みりんや砂糖のかわりに入れて調味するのだ。
味のまろやかさが断然ちがってくる。
煮物には、糀しょうゆと甘酒を。
アタシはどしどしつかう。
しかし、一回の料理につかって摂る糀と、甘酒一杯でいただく糀の量の比でいったら、甘酒の圧勝である。
はんぱない量の糀を飲んでることになるのだ。
糀の身体に与えるすばらしい効能はたくさんあるのだけれど、「身体にいいから」という理由だけではこうも続けることはできなかったことだろう。
「おいしいから」が継続の根本であると思う。
甘酒を毎日いただいているけれど、飽きることがない。
それは米を原材料としてるからだよね!糀って。
お米、飽きないもの。
画像の糀しょうゆには、糀がたくさん入って写っているけれど、糀の粒の入ってないしょうゆ(上澄みといいましょうか)は、刺身しょうゆとか漬け物にかけるとか、粒が気になる食材につかっている。
旨味はふんだんに出ているし。
家人は愛犬スーをなでながら、
「スーには悪いところがひとつもないな、ホントにいい犬だな」
とよくいっている。
私は糀をなでながら、
「糀には悪いところがひとつもない、糀ってすごいな」
とつぶやくばかりだ。