今日は名古屋の名鉄デパートで「旅のおしゃれ」についてのトーク日であった。
大型連休の終わった水曜日...にもかかわらず賑わう名鉄デパート。
さすが駅の真ん前のデパートである。
主婦の友社の雑誌「ゆうゆう」と名鉄デパートとのコラボ企画のトークショーである。
7階の婦人服売り場のエスカレーター前にしつらえられていたちょっとした舞台のようなコーナー。
そうさな...畳でいえば二畳半といったところ...だったろうか。
そこに、司会の方と編集部のスタイリストさんと私が上がってしゃべったり服のアレンジお見せしたりの一時間だった。
アタシが6年前から連載をさせていただいている東京新聞の「おしゃれのレシピ」というイラストエッセイは、中日新聞にも同時掲載されている。
司会者が、
「おしゃれのレシピを読んでいる方は手を挙げてみてくださ〜い」
と、アタシに対するサービスクレスチョンを最初にしてくださったところ、約8割ほどのお客様が挙手してくれた!!
ニコニコしながら大きく手を伸ばしてくださってた方は、きっとお手紙をくださったあの方に違いない。
目から「来ましたよ〜」のビームが出ていたもの!
本当にありがたいことである。
さすがは中日新聞の威力と感激する。
そこに「ゆうゆう」の読者さん、偶然通りかかったお客様たちもいっぱい集まってくださり、50人ほどになっただろうか。
椅子と立ち見の混合。
これ、大盛況っていって間違いないっしょ。
うれしくて、ほほがニ〜〜っとゆるんだ。
どんな服を着ていったか、どんな話をしてきたかは、明日にします。
いいたいこといっぱいあって。
大学のときの同級生が見物に来てくれててビックリ。
30数年ぶりの再会、てなこともあったのよ〜!
いつものように、名古屋土産は赤福。
三箱購入してきて、夕食代わりにもりもり食ってやったり。
つづく
さて。
黄金な日々も終盤だ。
これといって家族のイベントもおでかけもないいつもの我が家である。
それぞれに大人だし、それぞれにやることがあって、それぞれの過ごし方での連休だ。
こどもの日だから...といって、娘夫婦がケーキ持参でやってきた。
せっま〜い庭で七輪に火おこして、肉やら野菜を焼いて食べた。
「こどもの日」は口実であるのはいうまでもない。
焼ける肉のけむりの中でも寝ちゃうし。
トントンでコトンと眠るかわいさよ。

一昨年、あるコンペで私が敗戦していた一方そのころ...友人は狂言のキャラクターコンペでなんと入賞していたのであった。
「ござるくん」というかわいいお猿だ。

花笠をかぶったござるくんは、いかしたポーズも決めている。

ござるくん受賞のご褒美に、「鑑賞ご招待券」があったそうだ。
アタシはちゃっかり、ござるの恩恵にあずからせていただいたのでござった。
本当にありがとう!ござるくんとその作者!
人生初の狂言見物である。
今日、国立能楽堂で行われた「萬狂言 春本公演」での演目は、【茶壺】【空腕】【泣尼】の三つだった。
舞台上の人々の立ち振る舞いの端正、声の通りの良さ、日本語の美しさに感激する。
室町時代の人々が笑ったのとおんなじところで我々も爆笑してたんだろう。
人の可愛さ、トンマさ、寛容さにしみじみする。
なんの知識も持ち合わせていない私でも、ストーリーを堪能できた。
能楽堂は独特な雰囲気だ。
初めて足を踏み入れた場所にもかかわらず、なつかしいような親しみを感じた。
日本人だから?木がふんだんに使われた舞台だから?

シンプルな舞台で大掛かりな装置もしかけもないのに、上品ゴージャスがあたり一面漂っていた。
演目の休憩時間にトイレに並んでいたら、二人連れの着物の方が、
「この着物、今日の演目に合わなかったわね」
とか、
「もっと明るい帯揚げにすればよかったわ」
などと会話していらした。
演目に合わせて着物選び......って......そんな世界もあるのね〜とトイレでも感心しきった私であった。
ちなみにござるくんの作者は、大島の着物を召されていた。
な〜んか、うらやましかったでござるよ。
狂言とその周辺全部を楽しむってところが。
私の狂言への第一歩を提供してくれたござるくん、今度は自腹で出かけてみたいと思います。
ちょいと歴史とか演者さんとかも勉強してみたいと思った。
きっともっとおもしろく観られるだろう。
そして、着物を着て...もいつかはねらってみたいアタシだ。

5月7日(水)、名古屋市の名鉄デパートで、「旅の服装」についてトークショーが開かれる。
私も参加して、旅の装いについてなにかこうしゃべってくださいということだから、準備とかしている。
......すでにこんなたどたどしいのに、よくしゃべるイベントに呼んでくださったと思う。
引き受けたアタシもいい度胸であるよ。まったく。
大きな会場ではなくて、洋服売り場のフロアーの一角が現場だ。
20人ほど集まればいっぱいだし、申し込みも予約もいらないということだから、お買い物の途中の方が足を止めてくださればいいと思う。
30分ほど私がしゃべり、その後スタイリストさんがフロアーに販売されている洋服で、実際のスタイリングを展開して見せるという段取りであるということだった。
以前のような「パワーポイント頼み」のトークショーにはできない。
30分という時間は長いのか、短いのか?
やはり、しゃべり一本では間がもたないとも思うので、絵を描いた大きなスケッチブックをめくりながら見せながら、なにかこうお話できたらと思っている。
後に続いてくださるスタイリストさんがビシッと決めてくださるはずなので、私の30分はゆるやかに進めたいと思っている。
旅。
私は積極的に好んでどしどし出かけるタイプではまったくない。
それは、重度の方向オンチに由来しているからだと思う。
たまに、友だちに誘ってもらった旅では、他力本願丸出しで「ついてく私」を体現していた。
昨年の「金沢一人旅」(宿泊は友だちの家)は異例中の異例であった。
それでも、一人旅の憧れはふかくもっているものだ。
それも外国がいいなあ...。
アカプルコなどいいなあ。
ホリデイはアカプルコ♪だもんなあ。
冷えたテキーラ一息に〜ふっふ〜♪だもんなあ。
などと思ったりもする。
まあ、それはちょっと高度な願望か?
輝く五月の草原をさざ波はるかに渡ってゆく〜♪
盛岡という響きがロシア語みたいだった〜♪
盛岡は五月だもんなあ...。
ぜひ三つ編みの髪で出かけたい。
(アタシの旅案内はユーミンだけかいっ!)
そんな妄想ばかりの私が、旅の、主に服装についてしゃべるのだ。いいのか!やれるのか!おい。
いいのである。
アタシのように、旅にたびたび出かけない人はいっぱいいると思うのだ。
出かけるのあまり好きじゃないとか、チャンスやお金がないとか、行きたいとこはあるけど乗り物がNGとか色々ね。
旅は日常からの脱出のいい手段でもある。
それはリアルの旅も、空想の旅も同等と思える。
行きたい行きたいと思っててもなかなか行けない地がある。
それは、先方が呼んでいないからだ。
先方がおいでおいで!と招いてくれて、「地」と相思相愛になったときに、すべてのことはクリアーになり、すたすたと出かけられる。
遠近によらず、旅とはきっとそういうシステムになってるんだと思う。
相愛の地に出かける時は、やっぱりおしゃれしていきたい。
それには......てなことをスケッチブックをめくりながらお話してみたいと思っている。
主婦の友社の「ゆうゆう」という雑誌と名鉄デパートの企画トークショーは、5月7日。婦人服フロアーで開催されます。
午後1時〜2時。
友人が、倒れたのは2ヶ月ほど前の、あの大雪の日のことだった。
救急車で運ばれた病院ですぐに手術。
一命をとりとめたけれど、
「もうもとの生活には戻れないでしょう。車イス生活になるかも...」
というようなことを医者から告げられたという。
友人は、ずっと住んでいた家を手放し、介護付きの施設に入ることも考えたという。
友人は一人住まいだ。
また倒れたら...とかの心配もあったと思う。
その友人が!なんと!自力歩行で!住んでいた家に戻る日が!決まった!のだ。
手術した病院からリハビリ病院へ転院して、それはそれはリハビリに励みに励み、回復したのだった。
すごくいいリハビリ病院にテンポよく転院できたのもよかったことだった。
先日お見舞いにいった。
「今までの人生のうちで、一番がんばった」
という友人のTシャツには汗がにじんでいた。
「お茶飲みにいこ」
と誘ってくれ、病院のカフェで二人でお茶などした。
倒れたときのことを思い出話のようにしてくれた。
もうろうとしてた中で、車に追いかけられる夢を見たという。
「早く逃げて!早く早く」
と、同伴者に言い続けていたという夢。
友人は、
「あれが、境目だったんだと思う」
といった。
逃げ切れて本当によかった。
友人は、
「これは何かの啓示だったと思うのよ」
とも続けた。
病気や入院やリハビリや復活が。
今月の末に戻る家は、住みやすいように改造がなされたという。
いろんな公のサービスを受けられるようにも子どもたちが手配をしているということだった。
私は、この友人に今までどれだけ助けられたことだろう。
どんだけ励まされたことだったろう。
そして今も、
「ホンダさん、やりたいことはちゃんとやらないとダメよ。いつどうなるやらわかんないんだからね」
と激励してくれる。
生きててくれて、ありがとう。
もとの生活に戻ってきてくれて本当にありがとう。
友だちの入院からいろんなことを学ばせてももらった。
これからの生活は大変かもしれないけどアタシは、応援団の一員として、ずっと応援し続させてもらいます。

ほんだようこ、59才。
自分から自分にプレゼントをあげよう。
マザーテレサの言葉。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
家人からいただいた花。
心からありがとうを言う。

久しぶりに「ちゃんとした服」を買おうと思った。
多くの人前で話をするという仕事が、もうすぐあるからだ。
ちょっとしたイベント。
普段着はたくさん持っている方だと思うが...クロゼットをじろじろ見てもよそ行きっぽいものはないのだった。
冠婚葬祭用のものは数着あるけれど、そりゃね、違うよな。
ずいぶんと洋服を購入してなかったものだから、今回はスイートポテトにカスタードクリームを添えたぐらいに甘く、
「いいのよ今日は、気に入ったのがあったら値段なんかぜんぜん気にしなくって。
思い切ってパ〜っとお買い物なさいな。いいのよいいの、ホントに今日は」
ってな優しいお母さんのような気分を自分に出してやったのだった。
新宿での用事のついでで、駅ビルのお店とデパートを何店か回ってみた。
お母さんが強く甘く「いいよ」といっているのにもかかわらず、ほしいものがいっこもない。
回ったところが悪かったのか?どーも「若向け」のお店を回ってしまったみたいだったかも。
それでも、シンプル路線やGAPなどのカジュアル路線のお店だったらアタシにも似合うのがあるはず!とふんで見回ったが、洋服に対してはわりと強気の私でも、なかなか購入までの決心はつかなかった。
イタイ人って思われるかも...とか、無理があるんじゃ...などと、いつになく弱気になってしまっていた。
ピンクのセットアップに気に入ったものがあったのだが、試着するのもめんどうなような。
じょじょに選ぶのが、苦痛にさえ思えてきた。
ダメだな、こういう弱気になってる日に買い物しちゃ、と諦めた。
洋服を選ぶのが楽しくないなんて思ったことなど一度もなかったのに。
ふと...ふとだけどね...、年取るってこういうことなのかも、なーんて思った。
気に入った洋服を買うのって、根気とか体力とか勇気なんていうものが、もともと必要だったんだ。
寄る年波ってのが、それらを飲み込んでしまうのかもしれない、なんてね、ふとだけどね、そんなことを思った。
あ〜ダメダメ、そんな弱気なことじゃ!と戒める。
今日は、買い物の気分じゃなかっただけ、また出直そうとなにも買うことなく家に戻った。
なにかイベントのために新しい服を買うというのは、いいきっかけではあるけれど、是非の度合いは少々だ。
新しい服で、おしゃれができるとは限らんしね。
持っているもので、今までとは違った着方や組み合わせ、アイデアをほどこしてこそがアタシのおしゃれ!と何度も思ったではないか!
平常心を保とう、とまで思う。
衝動買いできるほどの衝動に突き動かされない「服」はいらんのだ。
気力と体力と勇気がみなぎったとき、お買い物にいこうと思う。
寄る年波って、けっこう威力あるものだよな。
飲み込まれないよう、うまく波に乗る努力をしくちゃ...と改めて思ったよ。今回は。
二年くらい前にやっていたテレビドラマ「最後から二番目の恋」。
リアルタイムでは飛び飛びにしか見ていなくて、最終回がおわってからにDVDを借りてストーリーの穴埋めをして全編を見た。
その続編が先週から始まったのである。
このドラマの魅力は、なんといっても千明(キョンキョン)と和平(中井貴一)の掛け合い漫才のような言い合いにある。
今回も第一話から掛け合い漫才ケンカは爆裂していた。
続編だし一回目だしと...その舞台はフランスで、掛け合いも三割増しとサービスされていた。
千明の昔の恋人(ポストイットの彼ね)や、和平のツボであろうホンワカな雰囲気の女性の登場もあり、今後の展開が楽しみなんである。
小泉今日子は、昔「スイカ」というドラマで三億円を使い込んだイカした逃亡犯役をやっていた。
「優しい時間」ではハスッパだけど、情のある看護婦さん役を。
どっちもイカッタ〜。
あの小さくてまとまりのある顔が、ピタリとはまっていた。
どちらも心に残るドラマだったなあ〜。
「風のガーデン」での中井貴一の大天使ガブリエルのガブさん役もイカッタよね〜。
あ、それから、......すみません、つい力が入ってしいました......。
そんな二人のドラマである。
見ないでかいな!
ファンキーな二人に期待もりもり。

誘ってくれた友だちといっしょに、「パブロ•ピカソ -版画の線とフォルム- その線は、とまらない」の展覧会にいってきた。
リンダの歌のような副題である。
今日はまさにうららかな日和。
ピカソは、18才のときに、初めて銅版画をはじめたという。(年表に書いてあった)
エッチングをはじめ、シルクスクリーンやリノカット...いろんな技法の版画の展示であった。
作の多いピカソ、版画だけでもはんぱじゃない。
そしてどれもがピカピカのピカソである。
見応えがあった。
帰り道、友だちおすすめのおいしい焼きそばでお昼をし、別れた。
その後、世界堂でちょっと買い物をし、ひとりコーヒーしにいった。
午後は早めに帰宅して、仕事の続きや洗濯の続きなどしようかなと、しばしコーヒーを楽しみつつ段取りしていると、どやどやっと女性グループが後ろのテーブルについた。
にぎやかな4名の集団である。(40〜50代と見た)
お昼ご飯を終えてきたらしい同じ職場の同僚らしかった。
良い展覧会を見てきたとこだし、気持ち的雰囲気を壊されたくなかったんだけどそこは喫茶店、せんないことである。
彼女たちの会話(ボリュームは10)が聞くともなく耳にとびこんでくる。
しゃーない、ここはもう聞き耳取材にしようときりかえた。
まず、
「もし会社全員で、人気投票したとしたら、この四人の中では私がきっと一番でしょうねウフフ」
の声が聞こえてくる。
発言者はいったいどんな顔で、そして言ってるんだろう?の興味が湧いてくるが、すぐにふりかえって見るわけにはいかない。
発言者以外の声は聞こえてこないが、モスグリーンっぽいムードがこちらにも漂ってくるようだった。
「50代のおばさんって、ゴルフ場の木陰で平気でトイレしちゃうんですよね〜。羞恥心って年とともに消えるんでしょうね」
などと語り続けていた。
なかなかの発言の連発である。
仲間の方は、
「そんなことないわよぉ」
と、笑い声とともにやんわり否定したり。
すると失敬発言者、またまた
「髪切ろうと思うんですけどぉ、長い方がかわいいですよね?ね、どう思います?」
かまってちゃんでもあるらしかった...。
「そーねぇ」
とかあいまいな返答しかもらえてなかったけど。
彼女が席を立ったらしく、椅子がガタガタいう音をきっかけに思い切って振り返ってグループの面々を確認した私だ。
そりゃ見たくなるって!
素早くチラッとね。でもしっかりとね。
彼女がトイレに消えた瞬間、クスクスと笑い出していた。
悪口をいうでもなく、ただただ笑い合う仲間たち。
こんなんして、会社の同僚たちって、平安を保っていくものなんだろうか?
勤め経験の薄い私にはわからない......が、想像なんとなくつくけど。
コーヒーを飲み終えたので、私は退出した。
家にもどってうちの台所のピカソを見る。

まあね、うららかな一日だったですよと、調味料の上のピカソで思う。

一週間のごぶさたです。といったら、たまおきひろしです、と続けてしまうのは私だけではないでしょう?
そうこうしてるうちに、桜はすっかり散ってしまい、4月も半分がすぎようとしている。
二日前、OBBになっての一周年記念日であった。
昨年のあの日を思い出す。
ややこしい仕事をしている最中ムコドノから連絡が入った。
「今病院に着きました」
と。
ややこしさの絶頂のところを描いているところだったし、入院してからが長いんだ、すぐに産まれるはずはない...とふんで、ゆっくり目に家を出たのだった。
そして病院について30分もたたないうちに、赤子は産まれた!ビックリ。
娘のむくんだような、安堵しきったような顔を思い出す。
あ〜あれから一年がすぎた。
あの赤ちゃんが三歩ほど歩くようになるなんて、成長の早さに目をみはるばかりなり。
すごく暖かい日があったかと思えば、ストーブをつける日もまだある。
毎年この時期はいつもこんなだったような。
Tシャツの上に軽いコートを着るのが大好きな着方だ。
コート好きにはたまらん季節。
真っ赤なの、花柄の、モスグリーンも、ベージュの、茶色の...を着回して出かけるスーの散歩だ。
春はいろんなスタートの季節でもある。
入院してリハビリに励んでいた友人は、もうすぐ退院。
そして新しい生活形態でのスタートだ。
家人は新しい職場に通いはじめ、息子は部屋の大規模そうじをはじめた。
どちらさまも一歩二歩。
道の両側に風で吹き集めれられた桜の花びら。
みんな真ん中を歩いていけますように。