ドキュン!きました、古着でみつけた好きな柄。
多摩センター駅前のカリヨン館の中にある小さい古着店は、ちょくちょくのぞく店だ。
若くてかわいい店長さんともすっかりの顔なじみになっている。
このブラウスを手に取ってまじまじと見ていたら、
「やっぱりね....気に入ると思ってました〜」
と後ろから声をかけられた。
ワタシ、ニヤついていたのだろうか?
500円でおつりをいただき、そしてまたニコリ。
大きさ、襟の形、プライス、どれもが私のジャストサイズであった。
あ〜!せっかく今月は連続更新に成功していたのに、昨日はパスしてしまった!
ばあさんも作らなかったし自分撮りもしなかった。トホホ残念。
昨日はダメダメな一日だったし。
無意味に食器パソコンなどすべて破壊したくなる衝動にもかられていた。
そんな日もありますわよね?ね?
破壊衝動は、「タマゴのカラを徹底的に細かく砕く」で回避してやったゼ。
ぜんぜんワイルドじゃないゼェ〜?
いちばん反省したのは、携帯電話のメールチェックを一度もしなかったこと。
あやうく仕事に支障をきたすとこだった。
ムッとしていた編集者さんにあやまりたおす。
開け放している仕事門戸はちゃんと見回らなければならぬぞ!わし!反省しきり...。
「着る」ということ、それは年々意味を変えるものだなあと実感する。
今日着た紺サージのワンピースは31年前の。
下の写真は同じワンピースを着た25歳の私です。
ものもちの良さをじまんしてるわけではないけどね。
毎日着るものを選ぶとき、寒い暑いを考慮しながら、無意識のうちにもきっと自分に何かを期待してるんじゃないか?と思うのだ。
がんばれ自分!まだまだいけるぞ我!気持ちよく今日も一日やれますように!てな感じで。
このワンピ、31年前のあるパーティーのタイミングで買ったものだ。
初めてのワイズだった。
私は元気満々であったし、意志は強固なそのころ。
このワンピを着るたびに、そんなことを思い出し、昔の自分に励まされる思いすらする。
パーティー着にしては地味な一着を選んだもんだ。
ケチな私だもの、ずっと着続けようと思ってのことだったのかもしれない。
歳と共に同じ服でも、その意味を変えていく。
服を通して「今の自分」を改めてながめ、「着る」ということは「生きていく」と同義語か?と大上段にかまえてみる。
パーティーでは小さなバッグを持ちハイヒールをはいていたけれど、今ではたっぷり中身の入るバッグを持ち歩く。
靴はぺたんこで。
シワの寄りはじめた首回り、レースのブラウスを重ね着してやんわりとさせる。
もっともっとばあさんになったら、もっともっと違った着方ができる自信があるから、ちゃんと年波に乗りたいと願う。
あるパーティーとは、結婚披露宴の後の友だちだけのお祝い会。
アタシと家人の。
深みどりの帯しめながら、いじわるばあさんはなぜ笑うのだろう。
雨だしこのバッグの出番!と思ってとりだしてみた。
スカートは、薄いナイロン100パーセントでできている。
うんと前のワイズの。
雨の日用のバッグとスカートだ。
ボタンをたくさんつなげてあるネックレスはももママさんが作ってくれたもの。
こんどの三人展の仲間の一人だ。
こんどは、もっとバージョンアップなアクセサリーを制作しているもうようで楽しみ〜。
12人まできたことし、ちょっと飽きてもきたのでばあさんたちをハガキにした。
近々「お店」にも出す予定。
夕めし後、兄さんをむずかしい角度で見るスー。
右側のごちゃごちゃは、この後にするばあさん材料。
ばあさんたちは皆、食卓生まれ。
もろもろとくずれそうな古いレース。
そ〜〜〜〜っと縫い付けた。
友だちが、ドイツの蚤の市で「凍えながら選んできた」というボタンを胸に満足するばあさん。
服の布は遊び布さんからの。
腰に巻いてるリボンは「友くん」のとこからのと、わりとワールドワイドなばあさんになっている。