パソコンや机にむかうとき、CDやラジオをつけている。
20年つかったそのラジオがこわれてしまったので、初めて「ユーチューブで音楽をえらんで聴く」というのをやってみた。
(そんなのきっと、多くの人はすでに...ずっと前からやってることなんだろうなと思うけど、アタシはやってなかった)
ユーミンで検索すると、コンサートの映像やメドレーとかが出てくる。
ほ〜〜!と次々に見入ったけど、そうなると作業が進まなくなる。
「この音(音楽)のみ聴きながら、別のネットの画面を出すことはできないんだろうか?」
と、素朴な欲望にかられる。
どうするんだろう??
パソコンの素朴な疑問はパソコンに聞いてみようと、「画面をふたついっしょに開くにはどうする?」と、ふわっとしすぎる言葉で検索してみたら、それでも解決するもんだ。
commandとNを押せばいいと!
(そういえば、フォトショでは頻繁につかってたし。newな画面ってことだしなあ。きっと基本なんだろね)
あっけなく解決し、アタシは新しいCDラジオを買わなくてもよくなった。
きっと、ラジオを聴く方法もあるはずだろう。
でも...なのである。
アタシは背中の後ろの方から流れてくる音楽がやっぱりいいのである。
ついつい画面見ちゃのりのりになってしまうから。
壊れたラジオの解決法、いっこ解決しても、なかなかすべてはうまくはいかないもの。
いぬを入れるバッグではなくて、犬の形のバッグということで。
つくりたいとずっと思っていたのだけれど、どんな素材でつくったらいいのか?と迷っていた。
第一候補は、ランドセルのような、ぴかぴかした厚手の革。
第二候補は、5ミリぐらいあるしっかりしたフェルト生地。
第三候補は、ぬいぐるみのような、フェイクファー。
イメージはあるものの、第一候補は、技術的に無理がありそうなので却下した。
「オカダヤ」に材料をみつくろいにいったら、ちょうどいい厚さで濃いグレーのフェルト生地があった!
しか〜しである。1メートル11000円は....どうかと思う。
10センチで1100円て、ごむたいである。
フェルト生地って高いのだねえ。
値段で即却下。
そこで、第三の候補である、フェイクファーで探すことにした。
オカダヤには、種類が豊富!
扱いやすそう(縫いやすい)で、値段もまあまあなファーを50センチ買ってきた。
それでも2000円でしたけど。
持ち手についてもいろいろ迷ったすえ、簡単に噛み合わせてジョイントできるのを選んだ。
アタシの手芸工作は、安価でありなおかつ簡単でなければならない。
持てる技とお金が少ないからである。
新聞紙に型紙をおこす。
ぐいぐい描いて型紙をつくり、細かいところを調節しながら縫う。
耳はやっぱり2個あったほうがよかないかい?とか....。
いぬの足はどーしようかな?とまたまた迷ったけれど、そこはバッグとしての収納機能優先として、足は省く。
裏地は、以前にカーテンを縫ったときの余り布をつかった。
目のつまった生地だったので、ファーの補強にもなってそこんとこは非常によかった。
55センチ×45センチと大きめのバッグにした。
黒いテリアには、赤いリボンが似合いそうだけど、そこは堪えて大人っぽくと....ドットのリボンにしといた。
友だちが、「使わないから...」といって、ワニ革のハンドバッグをくれた。3年前。
うひょうひょ〜♪と大喜びしていただいた私だった。
持ち手のところにあったダメージも、丁寧に修理した。
にもかかわらず......出番はきわめて少なく、残念ながらずっとタンスのこやしにと。
どーもね、マダム風になってしまうところが自分に似合わないような気がしてね。
なにかこう?....ただよう?高級感?に負けてしまうのだ。
そうだ!「よそ行きなお出かけ感」が、私の日常にあってないような気がしすぎていたのだ。
多分だけど、ゆずってくれた友だちも、そういった「気取り」を含んだお出かけ感が、手放した理由だったんじゃないかな〜。
夕べふと、ショルダーバッグにすれば、「気取り」は薄らぐのでは?と思いついて、さっそく持ち手を取り替えてみた。
アタシにしっくりくる風になった気がする。
カジュアルな軽さが出せたのでは、と自負する。
もったいない、いつ使えばいいのかわからない、似合わない...とかは、もっと自分に引き寄せて使う方法をさぐればいいのではと思う。
しまっておく方がもったいないし、使うのは今日!
今日使うカンタンな方法を、考えればいいんだなと思う。
私のタンスはすでに立派に肥えている。
こやしにはもうさせとかないよ。
孫が生まれて、思ったことに、「また読みきかせしてやるチャンスがきた!」がある。
手ぐすねひいて、その時をまってるOBBである。
【ある日、この子どもが生まれたてのほやほやで、パンかごに入ったロールパンほどの大きさしかなかったとき、長袖ドレス着た名づけ親おばさんと、黒い帽子をかぶった名づけ親おじさんが、この子を教会につれていきました】
モーリス.ドリュオン作、安東次男訳の「みどりのゆび」
挿絵もなんともかわいいのだった。
訳者の安東次男さんは、詩人で、俳人でもあったという。
目次さえ、それだけで心そそられる一遍の詩のようだ。
しか〜し....アタシが楽しみにしてるからって、孫がよろこんで聞き耳をたててくれるとは限らんなあ....。
布団の中で本を読んでやり、「続きはまた明日っ!」と閉じて寝る幸せは、母親の特権でもあるしな。
面白く本を読んでくれるOBBがいるってぐらいの存在にはなりたいもんだと妄想する。
また台風接近で、外は大雨。
私は「みどりのゆび」を音読する。
読み聞かせの腕、落としてなるものか。