人に、ありがとうといってもらいたがったり、感謝されようと思ってする行為ほどいやしいことはないと思っていた。
先日、遠方に住む友だちからきた手紙に、「感謝しています」という一文があり、目玉が3ミリくらいホントに飛び出すほど驚いた。
何か物を差し上げたわけでもなく、してあげたという記憶もなかったから。
あるアタシのやったことが、なにやら精神的な一助になったということだった。
文面を読んでいたら手が一瞬フリーズし、その後、じんわりきた。
自分自身の気持ちがイマイチ不明ながら、「あれ?私ってば感謝されたことを嬉しがってる?本当は感謝されるってこと望んでいる人間だったのか?」
と疑った。
無自覚なおこないに対して意外と思えるお礼の言葉ほど感動するものはない。
感謝してくれて、感動しました!といいたかった。
なのに、「とんでもねえ...、こちらこそ」とかなんとか濁してスルーしてしまったけど。
昨日会った友だちとちょいと深めの込み入った話を話し込んでいたら、友だちが、
「ありがとうって人にいうんじゃないよ。自分にいうんだよ」
といった。
最近「ありがとう」ということがおっくう(苦痛かな)になっていた。
人にしていただいたことや、うれしかったことにいうありがとうは自分に対していう言葉。
ふけぇ〜!!
私は感謝を習った。
感謝の気持ちの伸びしろが、まだ私にもあるらしいと気づかせてくれたことに感謝します。
本当にありがとう、二人の友!

さるブログで見かけていたチョコレート。(ご主人に買ってあげたNEWトランクスにチョコをのっけて写してた画像だった....。その取り合わせがものすごく彼女らしかったのだったんだ)
ああ、あったあったよね〜それそれ、アーモンドの砕けたやつがまざってるあれよね、と心の中で大きくうなづいた。
さっきドラッグストアでみつけて買ってきた。
はい、なつかしい味がしました。
これってずいぶんと昔っからあるチョコだよね?
私はパソコンのお勉強ノートと重ねてみました。
彼女の取り合わせには全然かないっこないけど。

「女優に学ぶオシャレの秘密」(宝島社)を見ていたら、つけていたラジオから加藤和彦の歌が流れた。
うっ!となってキュン!としてしまった。
ラジオはアルフィーの坂崎幸之助氏の番組で、新しいCDの話しとかしていたと思う。
加藤和彦の古い歌が何曲かかかっていた。
なんておしゃれでステキなメロディーなんだろう。
なんてダンディーで軽やかなんだろう。
もっとかかれ!もっと聴かせて!とラジオに願った。
「女優に学ぶ....」の本は、主に60年代にファッションアイコンだったブリジット.バルドーやジェーン.バーキン、マリアンヌ.フェイスフル、カトリーヌ.ドヌーブ、フランソワーズ.アルディー、ツイギーの写真いっぱいの本だ。(読む部分は少々)
タイムスリップしちゃうぜ、まったく。
久々のキュン。
加藤和彦にどっぷりとひたりたい気分である。
「50年目の旋律」「あの頃マリー.ローランサン」。
う〜〜っ!
こんなふうな感じで羽織をきることも。
羽織の模様と、アラン編みの目のもようをしこしこと描く。

停滞気分の日々だけど、それなりに日々。

スーさんは元気にうれしく、散歩。
おひなさまを出したり。

よく見ると肩にかけた、ケープのようなのがきれい。姫。

こんなふうな市松柄だったのか!と改めて見入ったり。殿。

先週の土曜日は、千駄ヶ谷の友だちのところへ。
連れて行ってもらったアンティークショップにあった椅子。
一脚14420円。二脚だと24000円にしてもいいって。
♪安くされてもいらないわフッフ〜♪ホリデイはアカプルコ〜♪

三回めの味噌仕込み。

二月くんはしっかりしたタイプに育ちそうな予感。
混ぜ合わせていてそう思った。

今日もポワロですみません...な気持ち。
ポワロ氏はベルギー出身だからか、チョコレートが大好きである。
ある年のクリスマスに、半ポンドの高級チョコレートを自分のために買おうとするところがある。
重さでその量をいうところが、なんともすごいと思う。肉を買うみたいで...。
友人同士ですすめあったり、プレゼントしたりもある。
チョコレートが殺人事件のポイントになる話しももちろんあった。
ベルギーのチョコレートをいつだったかお土産でいただいたことがあった。
すごくおいしかった!という記憶がない。
(おいしかったには違いなかったと思うんだけど)
気持ちのすすまない大掃除の合間々とか、寒い朝の犬の散歩の途中とか、そんな時に食べるクランキーチョコにかなうチョコレートを私はしらない。
...................................
DVDでは、いつも「完全版」か「日本語」を選ぶようになっている。
先日、ちょっと本人の声を聞いてみようと思い「完全版」でしばらく見てみた。
ビックリですぜ!本人の声と吹き替えの声は全然ちがうのだった。
はじめっから熊倉氏の声でのポワロなものだから、生まれたての鳥が初めて目にしたものを親鳥と信じるがごとく、私は熊倉一雄氏の声をポワロの声としてしっかり刷り込まれた。
熊倉氏のちょっとコミカルに声色を使うところや、「ノンノンムッシュ、それは違います」などとフランス語をまぜたりするところもすっかり慣れきってしまった。
それがなきゃポワロじゃねーよなとまで。
ボン!ムッシュ
子どものころ、ひょっこりひょうたん島で海賊のトラヒゲの声は熊倉氏だったよね?
なんでもかんでもやってみよう、さて今日は〜.....のケペル先生も!
もう一生のおつきあいだ。
なんとなくどこかに力が入らないかんじの日々。
犬にう〜っとうなったりして、嫌がられている私である。
週末は、ポワロ鑑賞。
ほとんど見尽くしたか?と思っていたけれど、まだまだ見てないのがたくさんあることがわかった。
TSUTAYAには、ポワロのコーナーの棚が他にもあったのだ!
うれしくて、ほくそえんだ。
すでに鑑賞済みのタイトルを覚えてもいないものだから、ついうっかり以前に借りたのをまた借りてきてしまうこともあるけれど、これがまったく後悔などないのだ。
二回三回目の鑑賞で、ああそこはそうだったのか!の新たな発見がいっぱいあるから。
冒頭のシーンが後半に大きくかかわってくる「物」を写してたりするけど、それ一回目じゃゼッタイわからんと思う。
そうつながるのか〜と。
毎回殺伐事件解決をしてるポワロと仲間、そんな中でもときどきスイートなこともおこる。
相棒のヘイスティング大佐は、わりと女性に惚れやすいタイプで二度ほどはどっぷりと恋に落ちたところを見た。
うかつにも、ついうっかりという感じでプロポーズしているところもあった。
ヘイスティングよ、そりゃあんまりだ...と私も心の中で注意したが。
結婚もしたようだけど.....でも私はまだ奥さんと会っていない。登場の回はまだみていないのかもしれないから今後に期待。
秘書のミスレモンは完璧なファイルを作る有能な秘書である。
なかなか背景がでてこないけれど、お姉さんが事件にかかわる回があって、ああ姉妹がいるんだ〜と思った。
ミスレモン、一度恋をしていた。
残念な結果になるのだが、あっけらか〜んとやり過ごしてしまうところ、さすがポワロの秘書である。
戦争中病院で死体をいっぱい見てきたといっていたから、わりとこう...さばさばと...切り替えが早いのかもしれない。
ポワロも殺人事件やら盗難事件やらのおしごとまっただ中においてもときどきちゃっかり恋愛をしていた。
回を超えての付き合いを見たことはないので、長続きはしないらしい。
警官時代に知り合ったあの人は良かったよ。でも人妻になってしもうたしね。ホント残念。
ロシアの婦人とはお似合いだったし、二人のピクニック風景は最高に素敵だった。
でもやっぱり環境に無理があったもんね。別れてよかったと思う。
ジャップ刑事、いいところでいい働きをする刑事さん。
彼の奥さんはなかなか素敵な人なんじゃないか?とふんでいるのである。
ジャップ家の台所を見てそう思った。
....見続けると、親近感が湧くものである。
飲んでみたかったスティックコーヒーの泡立ちタイプ。
スティック4本に、こんなかわいいカップのおまけがついていた。

今はミルクコーヒーをいれて明日のおでかけにそなえ、マニュキアなどぬりぬり。
黒豆たべたべ。

先週の帰省では、ぽっかりあいた時間にちょっと友人と会えるかな...といきなり、友人Kちゃん宅の訪問をしたのだった。
もし不在だったらそうだろうし、在宅でも忙しかったり(家でピアノを教えている友だから)したら、それはそうだろうしと、ふわ〜っとした気持ちで友だちの家を訪ねたのだった。
きっと忙しかったのかもしれないけれど、いきなりの私に時間をくれ、ランチをいっしょにしてくれた。(@カフェ風和で)
ありがたいことである。
なんと!幼稚園から高校まで同じ学び舎の友である。
そう仲良し〜!ってわけでもなく、何となく気になる存在ではあったものの、積極的な行き来はなく今日まで。
短時間ではあったけれど、楽しいランチタイムになったことだった。
3才から57才まで、ずっとうす〜く友だちでいつづけるつうってことはどういうことなのか。
幼稚園でのあのクリスマス会もいっしょにやった。
小学校では転校ですれちがい、しかし中学校ではまた出逢い、高校でまた同級。
けっこう数奇なかかわりだけど、それでも私はKちゃんと友だちだと疑わない。
「ロクさん」っていったらきっと興奮するだろう。
二人とも好きだった原田芳雄。
こ一時間ほど脈絡もなくしゃべって、じゃまたね〜と言ってわかれた。
「また」っていつなんだろうねえ。
そんな友を、人生の花??みたいに感じる今日このごろ。
歳を重ねるってそんなことなのかな、なんて思う。
お互いにしっかりと老けてるし、孫っつう人もできてる年代。
それでも昔のネーミングで呼び合い、過去と現在を行き来する仲。
老けるのもまあいいか?とふと思う。
故郷とは、そんなつながりの友が居る場所のことをいうのだろう。
故郷について考えた一週間であった。

妹(2才児)が6才の姉に絵本を読んでもらっているところ。
その絵本はきっと「アラジンのランプ」だ。
紺色の胸当てつきズボンにはうさぎの刺繍。
クリーム色のセーター。
昭和32年の冬。
堀ごたつにはおひつ。
ズボンのボタンは回りがひまわりのようにギザギザに。
アラジンのランプを読む声。
黄金の思い出ってそんなものなのだな。