まゆ毛について書こうとおもったけれど、時間がどーも半端になりそで....夜の課題として保留、の午後二時なう。
そして......今。午後10時半なう。
ブログ再開。
めっきり秋らしくなってきた。
朝夕の犬の散歩やら、お出かけの必需品はつばの広い帽子であった。
麦わら帽子であったり、布のハットであったり、ラフィアを編んだ帽子であったりを、毎日毎日かぶって外に出ていた。
ぐぐっと目深にかぶる帽子は、顔半分を隠してくれ、「オンザまゆ毛」にしてかぶっているものだからまゆ毛の存在を忘れていてもいいのであった。
でもこれからだんだんと帽子も必要なくなってくるのである。
そんな今日、帽子ナシで家を出ようとして鏡の前を通過すると、やけにぼんやりとした顔のアタシが写った。
おっといけねえ....そうだそうだ、これからはまゆ毛に力を入れなければいけないんだ!とはっとした。
いつだったか、ヘアメイクの仕事をしている友だちに「まゆ毛の描き方」を教えてもらったことがある。
ささっとやってみせてくれたけれど、一朝一夕にマスターできるほど甘くはなかった。
「毎日やっていれば、コツがわかってくるはず」といわれたけれど、コツなどつかめないままに。
友だちがすすめてくれた簡単な方法は、「まゆブラシでまゆ毛をとかして整えなさい」というものだったことを思い出し、ブラシを探し出すところからはじめた。
続く
昨日。
午前中、着付け教室のあと午後から友だち編集者と会う。
いろいろいろいろいろ....公私にわたりダメ出しと意見とアドバイスをもらう。
ちょっと反論というか自己弁護するも、相手は切れ者編集だもの、こっぱみじんに論破される。
木っ端にみじん切りにされても心地いいのは、それが愛情??から出ている言葉だからだ。
「アタシは真剣に生きている。この仕事以外の仕事は考えられない」
私の心のほぼ全域にしみた。
気がついたら、深夜まで5時間もしゃべっていたのだったが、まだ話し足りない気がしている。
今日。
ねぼけ頭でひと仕事したあと、7月に開いた「三人三様」の仲間と会う。@青山
(ひと仕事のけりがつかず、40分の大遅刻をする)
それぞれの一夏の話と、うらやましい秋の計画など聞く。
クリスマスの前にまた会おうね〜と。
それぞれに何かと忙しい日々なのであった。
刺激をうけるのには「人に会う」のが一番である。
今思っていること、これからしたいこと、困っていること.....聞いてもらい合う。
そしてそれは自分確認の意味が大いにある。
夜。
姉から心重くなるような電話を受ける。
過酷な日々らしい。
これから残っているひと仕事の続きをもりもりっとしよう。
友だち編集者が吐いたひとことひとことをかみしめよう。
ダメ出しされても修正できないこともいくつかある。
涼しい夜だし真剣に考えようと思う。
明日。
くるなら来い!
義母はきのう、高田馬場のお墓まいりに義弟と連れ立って行った。
そして今日はまた別のお寺、日暮里のお墓まいりに行くという。
じゃんじゃん降りの雨の中、お足下も悪かろうと、いっしょに行くことにした。
片道2時間の長き道のりである。
日暮里駅はスカイライナーとかがかするようになってから、わけわからないほどの変貌ぶりである。
迷いながら駅を歩く。
やれやれとたどり着いたお寺。
雨にめった打ちされている墓石に、また手桶の水をかけるのはどうかな?と疑問に思う私をしりめに、義母はじゃんじゃん水をかけていた。
天からの水と、手桶の水は別物なのか。
あっちゅう間に消えるお線香もしっかり供える。
交代でなむなむ〜をして、滞在5分もしないお墓まいりを終えた。
義母はその足で義妹のお見舞いにまわるというので、病院もいっしょに行く。
若いときから美貌をほこっていたおばさんは、美貌のばあさん(87)になりベッドに横になったままだ。
二本のチューブが身体に。
一本は「入り」で、もう一本は「出」用の。
でも口と頭はばりばりなので、ばりばりにおしゃべりをする。
昔の話、退院後の不安、お墓のこと、姉妹のウワサ(主にアッコウ)などなど、楽しさのみじんも感じられないおしゃべりであったが、必要なことだろう、ふむふむと聞く。
ba-sanの先輩なのだ。取材として熱心に聞く。
「大福かシュークリームが食べたい」
と熱く強くいう。
義母が、
「重湯の食事なのに...ダメだと思うわ」
と注意。
「あら、自分のおなかのことは自分が一番よくわかってるんだからいいのよ」
と反論。
重湯食の患者には.....私とて賛成しかねた。
滞在30分が限度で、
「また来るわね」
と退出した。
義母はきのう&今日の外出でとても疲れたといって、足を痛がっている。
「ヨウコさんにいっしょに行ってもらって、ほんとに助かった。ありがとう」
と感謝もされた。
でも....私は真夏の実家のお墓まいりにひきつづき、とっても腑に落ちないのである。
ここまで義母(88)をかりたてる墓まいりっていったい...とバチ当たりの私は心底思うのである。
沖縄のお墓のこと、先日ひょんなことから知った。
沖縄では、葬式の後土葬にし、しばらくして遺体を掘り起こしてだな...きれいに洗骨してだな、改めておさめるところにまたおさめるのだという。
それ、長男の嫁の仕事なんだと!(昔の話なのかもしれないけど)
それを知った時、「あ〜沖縄の長男の嫁じゃなくって本当に良かった」と思った。
沖縄の長男のお嫁さんには本当に申し訳ないのだが。
掘り起こし時をまちがえでもしたら、妙なものがまだ付いてたとしたら....などと思うと震えがくる。
長男の嫁の義母がずっとしてきたこと、アタシが受け継ぐことになるのだろう。
「スプートニク号に乗せられて宇宙に置き去りにされたあの犬に比べたら、自分の境遇なんかまだマシだ」
とイングマル少年は考えて乗り切っていた。@My life as a dog
「昔の沖縄の嫁に比べたら、私なんかぜんぜんマシ」
と考えてみようか。
シュークリームを6個買って帰ってきて長男の嫁同士、義母とむしゃむしゃ食べた。
それはそれはおいしかったです。
トップページのところ、動かなくしました。
かわりに、ひんぱんにイラストをかえるようにしていこう!と思います。
これも塩糀のおかずを食べさしつづけた成果といえましょうか。
むすこよ、どーもです。しんせつさんっ!
夕食の支度中のこと....。
コンロのはじっこに置いたザル(持ち手付き)を移動しようと持ったら、ジューっと小さな音がした。
次に熱いような、痛いような激しくいや〜な感じがした。指に。
ザルの持ち手部分は同一素材のステンレスでできていて一体になったもの。
マーボなすをつくっていた鍋の火で、そこんとこがついでにあぶられていたらしく、カンカンに熱せられていたのだった。
そこんとこをなんのちゅうちょもなしに、力いっぱい握ってしまった私。
ちょっと間を置いて状況を理解した。
大慌てで、指に水をかけたが。
今、右手の四指には、ザルの持ち手の幅まんまの形に白く火傷状態。
氷をにぎりしめ、痛さに耐えているところである。
この後、水ぶくれになるのだろうか。
コンロ上の鍋その他には気をつけなはれや〜っ!
親指でキーボードは、なかなか。
....あいかわらず表紙は真っ白で....なかなか。
はたと何かを思いついたマープルに私のバッグを持たせてみた。
羽がパリッパリにできた餃子。
ひき肉には、もちろん塩糀で下味つけ。
お昼ご飯も夕ご飯も....餃子祭りの一日。
このba-sanは小柄です。
お父さん手のひらサイズぐらい。
星調べをいつもしているので、どうもヘアーもこうなったようだ。
ということでひとつタノム。
介護福祉士として働いている友人のために、私のばあさんも働いてもらうことにした。
ゲンバで働く人からうかがうba-san話はすごいね。
過激で悲しくて、面白くて腹立たしくて、そりゃもうね。
そんな中でもアタシのばあさん、がんばってくれ〜!