脇が深く切れているツーピース、これまた長年着続けているものだ。
シャツは麻で、パンツはコットンでできている。
このデザインが大好きで、これを元にして二着も作っていただいた。
(襟のところをチャイニーズカラーに変えてもらった)
涼しいったらないツーピース。
パンツのウエストはゴムなのでラク〜だしね。
犬のチャームはイギリスのアンティークだった。
ボールチェーンに通したいのだけれど、いいのが見つからなくて細い革ひもに今のところ通している。
いちいち首の後ろで結ぶめんどくささよ。
大きなビニールバッグは梅雨のシーズンには便利なものだ。
内側はブールー地に白のドット模様。
時々裏返して無理矢理リバーシブルにして持っている。
金比羅神社の境内に咲いていたアジサイはこんな色。
思わず立ち止まって写メール。
縁結びを願う神様のところに、びっしりと結んであった。
ちょうちょ結び、ここまでガッシリと結ぶとは!血管みたいだ。
願をかけた人々の意志が感じられた。
友だちのとこの犬が死んだと、昨日ブログで知った。
ずっと前にこの友だちと、お互いの家の犬のことを話したことがあった。
10数年まえに、家族で流星群見物で夜外出した際に拾った犬であったことを聞いた覚えがある。
「なにかのご縁...」と連れて帰ったということだった。
そんなこんな話から、病気になったらどうする?なども話した。
「大手術とかになるような病気になってもしないつもり」
「自然にまかせて」
「なるように」
「だよね」
私たちは意見の一致をみた。
コーヒーを一口飲んで、
「とかいっちゃってても...現実になったらわかんないかもよ」
と、ワントーン下がった声でボソッとはきながら、お互いの犬の長寿を祈った。
あれから5年、友だちの犬は死んだ。
一昨日まで変わりなかったのに急に食べなくなり、二日後に....だったそう。
友だちもご主人も獣医さんに連れて行くと選択肢はなかったのだという。
家でずっとそばにいてやりたかったのだという。
自然にまかせて....、なるように....。
犬が教えてくれることのなんと多いことか。
自然にちゃんと死に向かっていく犬を、家族でじっと見ててやることが最高の恩返しかもしれない。
流星群の夜に拾われたあの犬の一生は、そうとうに幸せなものだったのではと思う。
遠くから拍手をおくる。
いちかばちかが異常に得意なばあさん。
愛犬たちの名前は「Noruka」と「Soruka」
ばあさんにピッタリの小さい額を見つけた。(7㎝×10㎝)
ポストカードの写真を切り抜いて、額に入れてばあさんに見せる。
なにか.....いいたそうだったが無視しといた。
ドキュン!きました、古着でみつけた好きな柄。
多摩センター駅前のカリヨン館の中にある小さい古着店は、ちょくちょくのぞく店だ。
若くてかわいい店長さんともすっかりの顔なじみになっている。
このブラウスを手に取ってまじまじと見ていたら、
「やっぱりね....気に入ると思ってました〜」
と後ろから声をかけられた。
ワタシ、ニヤついていたのだろうか?
500円でおつりをいただき、そしてまたニコリ。
大きさ、襟の形、プライス、どれもが私のジャストサイズであった。
あ〜!せっかく今月は連続更新に成功していたのに、昨日はパスしてしまった!
ばあさんも作らなかったし自分撮りもしなかった。トホホ残念。
昨日はダメダメな一日だったし。
無意味に食器パソコンなどすべて破壊したくなる衝動にもかられていた。
そんな日もありますわよね?ね?
破壊衝動は、「タマゴのカラを徹底的に細かく砕く」で回避してやったゼ。
ぜんぜんワイルドじゃないゼェ〜?
いちばん反省したのは、携帯電話のメールチェックを一度もしなかったこと。
あやうく仕事に支障をきたすとこだった。
ムッとしていた編集者さんにあやまりたおす。
開け放している仕事門戸はちゃんと見回らなければならぬぞ!わし!反省しきり...。
「着る」ということ、それは年々意味を変えるものだなあと実感する。
今日着た紺サージのワンピースは31年前の。
下の写真は同じワンピースを着た25歳の私です。
ものもちの良さをじまんしてるわけではないけどね。
毎日着るものを選ぶとき、寒い暑いを考慮しながら、無意識のうちにもきっと自分に何かを期待してるんじゃないか?と思うのだ。
がんばれ自分!まだまだいけるぞ我!気持ちよく今日も一日やれますように!てな感じで。
このワンピ、31年前のあるパーティーのタイミングで買ったものだ。
初めてのワイズだった。
私は元気満々であったし、意志は強固なそのころ。
このワンピを着るたびに、そんなことを思い出し、昔の自分に励まされる思いすらする。
パーティー着にしては地味な一着を選んだもんだ。
ケチな私だもの、ずっと着続けようと思ってのことだったのかもしれない。
歳と共に同じ服でも、その意味を変えていく。
服を通して「今の自分」を改めてながめ、「着る」ということは「生きていく」と同義語か?と大上段にかまえてみる。
パーティーでは小さなバッグを持ちハイヒールをはいていたけれど、今ではたっぷり中身の入るバッグを持ち歩く。
靴はぺたんこで。
シワの寄りはじめた首回り、レースのブラウスを重ね着してやんわりとさせる。
もっともっとばあさんになったら、もっともっと違った着方ができる自信があるから、ちゃんと年波に乗りたいと願う。
あるパーティーとは、結婚披露宴の後の友だちだけのお祝い会。
アタシと家人の。
深みどりの帯しめながら、いじわるばあさんはなぜ笑うのだろう。
雨だしこのバッグの出番!と思ってとりだしてみた。
スカートは、薄いナイロン100パーセントでできている。
うんと前のワイズの。
雨の日用のバッグとスカートだ。
ボタンをたくさんつなげてあるネックレスはももママさんが作ってくれたもの。
こんどの三人展の仲間の一人だ。
こんどは、もっとバージョンアップなアクセサリーを制作しているもうようで楽しみ〜。