ゆうべのご飯と、かなり前の山椒の塩漬けとじゃこ、みんなむすんでおいしい一品。
67年前の今日、こんなのをむすんでた人もきっといたはずだな。
おむすび持って、空見上げ。
たっぷりあるぞ!の塩糀。
丸い方は前回(2〜3ヶ月前)ので、四角い方が今回仕込んだ塩糀である。
温度も湿度もまんまんにある季節ではおどろくほど発酵が早い。
この「早さ」はうまみに関係してくるものなんだろうか?とふと思う。
いちばん最初に作ったとき、まだ糀というものを良く知らなくて乾燥した糀でつくっていた。
お米のようにさらさらとした状態のもの。
寒い季節に始めたので、発酵に2週間、いや3週間ぐらいかかっていたと思う。
(「完成」状態は既製品の塩糀を参考にした。)
充分おいしかったけれど、友人から分けていただいた「生の糀」を使って作った塩糀とは差があった。
生ならではのビックリする味だったのである。
まろやかで、なんつうかこう、手を取り合いたいというか...。
「うまみ」を説明するのはとってもむずかしいんだけどぉ...。
今思うのだ。
乾燥した糀をじっくりじっくり発酵させたものの方は、味がどん深かったと。
生の糀で、わりと早めに発酵が完了すると、ライト?な味わいになる。
それに加えて塩の加減もいろいろにすると、用途もいろいろに変わってくるのだった。
たとえば..である(すみませんねえ。塩糀について語りだすと長くなるもんで)豚肉を生姜焼きにするとき、塩控えめな塩糀をしばらくまぶしておく。
そうすると肉の旨味はぐぐんと引き出され、柔らかくもなる。
しょうゆの風味は欠かせないもんだから、しょうゆの塩分と塩糀の塩分の.....そうそう!塩梅しないといけないから、塩控えめの糀が必要となるんだな、これが。
そして糀の風味は少々にしておきたいので、ライト糀がぴったりなのだ。
味のどん深い塩糀はなんといっても漬け物に向く。
一晩野菜をひたしておけば、うまし漬け物の完成である。
冷蔵庫の中の塩糀のビンを並べ替えながら、山椒のビンを見つけた。
じゃこもあったので、フライパンでから煎りした。
これからおむすびを作る予定である。
ばあさん人形の頭部ふたつ、未完成のまま放置してあるんで、それは今晩人形にしよう。
つくるのが楽しければ、きっとなんでもおいしいくできるのである。
親方は今日も現場へ....。
本日は床貼りの予定だ。
30センチ四方のタイルを四角い部屋の床に貼っていく段取りをつける。
今日の作業はMARIKOさんと私の二人だけ。
現場に到着してしてからの小一時間は、まず、コーヒータイム。
おいしいパン屋さんに寄り道しいくつか甘いパンも買ってもらったし。
コーヒータイムはとても大事なのである。
作戦会議というところだ。
さて、まず、と、ばあさん話で45分ほど盛り上がり、その後打ち合わせる。
基本は、部屋の中心から貼り込んでいくという。
(ネットの参考書しらべではそういうことだった)
部屋の中心地点から正しい十文字を描き出し、その十文字に添って一枚一枚タイルを貼っていくというのだ。
そしてはじっこの余りのスペースにはタイルをその寸法に切り出して埋めていくのが正攻法。
さて墨ツボの登場である。
現代は墨じゃなくて、赤いチョークの粉をケースに入れて、それで糸を染めることになっていた。
ピーンと糸張って、ピンッとはじくとピシッと板にラインが引けるという憧れのあれである。
嬉しくって、チョークの粉で指を真っ赤に染めながらも早々に準備する。
ピーン&ピンッ&ピシッを早くやってみたくてたまらなくって!
が、しかしである....。
そうやって中心から貼ってってでは....余り部分が部屋の四辺すべてに発生する.....とチョコパンを食べながら我々は気づく。
加えて古い家だ。
部屋全体が正しい四角ともかぎらない。
ひずみ?ゆがみ?ガタ?そういった現象も、目視でもやや確認できる。
余りの部分が変なカタチに残ることは必至だ。
う〜む、いちばん目立つ一辺(入り口付近)が継ぎはいだ変なカタチのタイルになってるのはいかがなものかとコーヒーを飲みながら案ずるわれわれ。
「そこんとこいちばん大事じゃない?」
「そうだよね、せめてそこんとこだけは継ぎはぎナシでいきたいよね」
とリンゴパンをもぐもぐしながら作業進行を考える。
で、スタートはいちばんメインの入り口の一辺からが良かろう。
そしてある程度中心付近までタイルを貼り進めたら、今度はそこから三方に向かって貼り進めようという基本方針をとったのである。
珍しく早々と目がさめたので、日差しが強くならないうちにと、スーの散歩に出る。
一汗かいてラララン♪と帰宅し、フフフン♪とすべて脱ぎ捨てシャワーに入る。
気持ちよくルルルンとあびていると.....な〜んかが視界のはしっこに入ってきて、「動き」を感ずる。
気のせい気のせいと妙な胸のざわつきも洗い流そうと、シャワーのしぶきを胸に腹に......あれ?やっぱなんか動くよ??
首だけまわして反対側の壁をふとみると、ななななんとGが!
ぎゃ〜っ!っと心の中でだけ悲鳴をあげる。
まだ家の者らは寝ているし、悲鳴で駆けつけられもねえ、それはそれであれだし。
丸腰のアタシは一瞬だけ固まっていたと思う。
しかしここから逃げ出そうという選択がなかった。
手にしているものは、しぶきのあがっているシャワーだけである。
水量マックスにしてGにむかって噴射させる。
驚いたGは、Gならではの俊敏かつ予測不能な動きを見せつけてくれた。
アタシだって負けてはいられない。
万が一Gがこっちの身にでもと考えると...もうおそろしくてそろしくて、シャワーの手を緩められなかった。
戦場は湯気でもうもうとなり、ほとんど視界がないほどになったが、Gがおとろえることはなかった。
さすがだGよ。
だが私だって老眼ではあるけれど、「黒い一点」を見失うことは決してしなかった。
戦っているうちに、真っ向勝負じゃなく、シャワーの方向を変えて、排水溝方面に向かわせるのはどうか?と思いつく。
きっとGは、そこからやってきたにちがいないのだから、そこに帰っていただくのが正しいのではないか。
はたして私はやり遂げた!
この身ひとつで勇ましく、ああやり遂げましたとも。
ヤツは渦に巻かれて無言で帰っていった......。
しばらくの間排水溝にシャワー噴射を続け、リターンを防御した。
それから私はGよりももっと素早い動きでカラダを洗ってすみやかに退出した。
朝の一仕事終えた気分は、なにかこう....スッキリもしないんだけど、あれしか方法はなかったよな?な気分であった。
すっかり着替え、なまぬるくてもいい、とにかく風に吹かれよう.....と一人散歩に出た私である。
姉から香りの強い大葉、おとなりさんからきゅうりとなすとゴーヤ。
またもやおいしい夏野菜をいただいたのでアレをお昼から作った。
そうめんといっしょに食べたらベストマッチであった。
なす、長ネギ、パプリカ、ゴーヤを素揚げ。
大葉は千切り、きゅうりはざくざくっと切りそのまま。
夕べのお残りの蒸し鶏の薄切りを投入。
そうめんつゆにお酢をけっこうたくさん入れダシ汁に。
以上のものらを和えるだけでおいしいおかずだ。
パプリカって素揚げすると甘みが増しておいしいね!
入れ物もいつもの器で。
この器は、内側と外側の模様の差が不思議なのだ。
内側は、北欧っぽい模様のくせして外側はとっても和風な図柄。
以前母が古物で購入したものだが、昨年いただいてきた。
けっこう使い心地が良くて気に入っている。
大事に使おうと、思ってはいる。
少女期0〜20、もりもり若い女性期21〜35、おねえさん期36〜40、おばさん期41〜55、ばあさん期55〜85(一応...)
まあ独断でざっくりだけれど、こうして数字にしてみると群ををぬいて「ばあさん期」がいちばん長いのである。
36才からをおばさんの仲間に強引に連れ込んでみても及ばない。
我々は人生の中で「ばあさん」としてもっとも長く過ごすのである。
「ワレワレワジンセイノナカデバーサントシテモットモナガクスゴスノデアル」
と、のど仏のところを人差し指でかるくトントンと叩きながら抑揚を付けず宇宙人っぽくいってみると、ますます醍醐味と実感が湧く。
二十歳になっら成人式で祝うように、55歳になったらばあさん式を行い集い祝うのはどうだろう。
メインメニューはカレーで。
はっ!あっ!ん!そうか!還暦とはそういうことだったのか!
けれど赤いちゃんちゃんこなど着て、座布団にちょこんと座り、孫に囲まれにこやかな老人のイメージが浮かんでくる。
ちちちがう、なにかがちがう.....。
ばあさん人形をたくさん作っていて思ったことの一つに、「意外とばあさんってなんでも着こなせるもんなんだな」があった。
真っ白の白髪や、グレーまじりの髪で人形を作っていたものだから、なおそう感じたのかもしれない。
白髪、縦横無尽にはしるシワ、すぐくねっとなるくらいに柔らかく詰めたパンヤ、それらはばあさんならではのめくるめく新世界であった。
派手めな色の服、レース、多めのギャザー、顔面ほど大きなアクセサリー、オーガンジー.....。
頭の中にはうっすらと佐藤愛子、沢村定子、オードリー•ヘップバーン、樹木希林、ミスマープル、本格派のばあさんがいつもいた。
人形のモデルにしたわけじゃないけど、うっすらと彼女らがあった。
休むに似たりの思考を続けている私であるが、考えてることの輪郭がぼんやりと見えてきた気がするので、この陽炎みたいなもんをつかみたいとおもう。
つかみたいもんが今までわからんかった。
いいや、なにをつかもうとしてるのかさえ。
この陽炎が耳や鼻の穴から流れ出さないうちに、アタシのカタチにならないものか。
寄る年波がばあさんというビッグウエイブになっていきますように。
今なおまざまざと思い出される「自分のばあさんを思った日」がある。
それは三年ぐらい前だったか....「マルタの優しい刺繍」という映画を観た日の事だった。
その日の事は、ブログにも書いた記憶がある。
若い頃観た「黄昏」、「コクーン」、「八月の鯨」、「ドライビング•Missデイジー」とか、主人公が老人の映画とは全然ちがった印象をばあさんたちから受けたのだ。
仕草、考え方などが自分に重なった。
映画館を出て見上げた西の空、スクリーンよりでかく墨痕あざやかに「近々」と描かれているのを見た。
多分そのとき私は54か55歳だったと思う。
東の空に薄墨で書かれた「JUST NOW!」を私は見逃したのではあるまいか。
とそんなことを新人ばあさんは思い出し「私的ばあさん年齢」を確信するのです。
展覧会をきっかけに、ばあさんについて考え続けている。
まず....ばあさんとはいったい何歳からの女性をさすのか?である。
心が少女のようにいきいきしていれば、いくつになっても青春っ!とか、孫が生まれ、おばあちゃんになったら....というのはひとまず右横に置いておきたい。
そこ、保留。(却下したわけではない)
拓郎の歌った、♪喫茶店で渋茶を注文すること〜♪あ〜それが老人〜♪は、左横に置いたゴミ箱に捨てる。
じゃ、きりのいいところで60?65かな〜?
と、アイスティー飲みながら、ふと雑誌をめくる。
それは、【40歳からの私らしいおしゃれ探し】とサブタイトルの入ったムックであった。
最後の方の記事に「街で見つけたプラチナ世代の素敵な女性たち」として、街角おしゃれさんスナップ写真が載っていた。
20人ほどの登場。
主に40代女性だった。
母娘のツーショットもある。母44娘18とか母45娘20のペア。
みなとてもおしゃれさんである。
その中で、え?ちょと雰囲気ちがうんでねの?と目がとまった写真もある。
素敵な装いをこなれた感じでさらりと着こなしておられる方々なのであるけれど、なにかがきわだって他とちがう.....。
え〜〜っと率直にはっきりいってしまいます。
「おばあさんに見えた」のである。
キャプションについている年齢を確かめると、52歳、54歳。
ああん??歳下じゃん!
57歳って?同じ歳じゃん!
重ねていいますが、センスすごくよく着こなしてて品もあって、選ばれし人であることは間違いないのです。
しかし、40代30代の中にあれば、差、歴然。
はっきり見えるラインがありました。
もういっかいいいますが、若い>若くないの式をいっているのではないよ。
ばあさんとはいったい何歳から....?を考えているときに見た雑誌。
60?65?などとふわ〜っと考えたりしてたわれであったが、チラッと写真で見てピッと感じたおばあさんとは52歳。
「私的ばあさん年齢」は、グレーゾーンの間くらいをとって55歳で手を打った。
しゃしゃんのしゃん、GOGO!レッツGObaーsan55!
55歳は、ばあさんの初心者、ばあさん界の新参者。
新人ばあさんなのである。
なんだかとっても嬉しく感じるのはなぜだ?わからん。
これからしゅくしゅくとばあさん街道を歩いていこう!と決心した。
きのうの残念な部分が心残りだったので....午後から現場に。
今日は、はからずもたくさんの人の出入りがあった。
家主のH一家3人、K一家5人、O母娘、Tくん、アタシと息子。
老若男女13人と犬三匹が入り乱れての作業となった。
子どもらはみなほぼ幼稚園から高校までおなじ学び舎の仲間である。
親同士は久々の再会を喜び合ったりもし、楽しく作業をした。
私は若い者らのじゃまにならぬようにキッチン方面に逃げ込んでいた。
付近に冷蔵庫もあり、ビールの差し入れもあり、そういった恵まれた環境下にあったので、親方らしくビール片手ににこやかに見守るほかなかった。
家主は、古い壁の塗料をはがすというとっても地味でもっとも大変な裏方作業をしておいてくれたので、わりと派手めな仕事を来訪者にやらせてくれたのであった。
ありがたいことである。
BGMに、テレビの「劇的ビフォーアフター」の匠のテーマミュージックが流されて、テンションが著しくアップした。
リビングはあと床張りを残すのみ。
ダイニングも完成間近い。
トイレ洗面所、玄関まわりは手付かずのままだけど、それもだんだんと形になっていくことだろう。
楽しみである。
これから夏休みの子どもたちの手もどんどん交えて、作業に加速がつくはず。
リフォームってこんなふうにするんだな、人の集まる家ってこんな家なんだな〜と思わせてくれる。
人が家だ。
昨日、冗談のように段取った完成を祝う日も近い!?
そしてそれぞれに自分のかかわった部分を指差しながらしみじみと言うのだろう。
「ここ塗ったんだよ」
「ここ打ったんだよ」
それぞれ自分の家のようにジマンし合いたい。