こいつをなんとか一人前にまで育てあげたい...なんとか....。
名前は「へーいくん」にしとこうか。
【今日のぶつぶつ】
そうか〜、「今日もマウスで5分」のあの人は、これのもっと高度な技術を駆使して制作してるんだな!きっと。
あたしゃ、その10倍時間かかってのへーいくん。
ポストに投函終了で、さっぱりな気分を味わっている。
確定申告の書き込みを終えたのだ。
今までは、税務署に持っていって署員さんに一応、記入もれとかないかと確認してもらっていたのだけれど、今回は何度もうちで見直しし、
「これでモンクあるようだったら、出るとこでようじゃないの!?え?」
とまで自信があったので、郵便でおくることにしたのだ。
うんとうんと前、「調べ」が入ったことがあって、それはそれは細かく「調べ」ていったマルサさん。
「コピー用紙7600円はおかしい」と目をつけてくれ、領収書を繰ったらそれは760円で....。
今でいうところのどや顔で指摘され、色々書き直しを命じられた。
なんか大罪を犯したような気分になったことを思い出す。
それだけだったのだけれど、必要以上の緊張感をあじわったものだった。
こんな小さな小さなびびたる極小な個人営業であっても、「調べ」は実に念入りなのだなあと思った。
たくさん働いて、ちゃんと税金を納めたいと、アタシ思っとるんよ、ホントに。
ともあれ、このさっぱり感と、やりとげた感の後には、毎年必ず春がやってくるのだ!
今日だけは言わしちくれ、
「ああアタシは今年もやりとげたさっ!さあ春よどんとこい!」
っとな。
発表がおそくなりましたが、自家製の塩糀づくりは成功いたしました。
この時期に、常温発酵は時間がかかったけれど、やく二週間ほどで完成。
100グラムの糀に、30グラムの塩を加え、そこにひたひたになるくらいまで水を入れ、一晩放置。
翌朝、どれどれ?と見ると、しっかり水分を吸収して、ややふくらみを帯びた糀になっています。
そこにまた水をひたひたに足して、その後はそのまま置いておく。
一日いっかいかきまぜるのを忘れない。
それで出来上がり。
完成したかどうかを確かめるには、ひとつぶふたつぶの糀を指でさわってみて、やわらかくつぶれるようになったかな?と試すこと。
出来上がりを確認したら、その後は冷蔵庫にしまっておく。
きゅうりを拍子切りにして塩糀をまぶしておくと、二時間ぐらいで浅漬けっぽいものに。
けっこうおいしいです。
大根でもいけるはずだろな。今晩やってみよう。
スーの散歩の途中では、いろいろと拾いものをする。
秋には特にいい拾いものどっさりと。
私は「拾いもの達人」なのである。
今日、意外さ最上級な拾いものをした。
それは道路のわきっちょのタイル塀のあたり.....申し訳ないのだが、スーのお気に入りスポットのあたりに落っこちてた。
入れ歯!
さすが達人ともなると拾いものの押さえどころがちがうでしょう?
わりとすべての歯がピンク色の歯茎に生えそろっているものだったけれど、それ、上の歯か下の歯かは判断がつかなかった。
なにか、こう、妙に近寄りがたい雰囲気をただよわせてそれは道にあった。
ちょっとだけ迷ったけれど、達人としては拾わぬわけにはいかない。
ビニール袋を散歩バッグから取り出し、そっと拾って近くの交番に届けることにした。
交番には若いおまわりさんがいて、手渡したビニール袋を透かして見ながら、
「入れ歯ですね〜」
と確認したのち、まじめな顔でこう続けた。
「拾得物の権利を放棄しますか?」
私は、声のトーンを一段階ほどおとし、
「はい、放棄します」
と、名も所も告げずに粋に立ち去ったのである。
これから、達人より上の位の名人を名乗ろうと思う。
とあるコーヒーショップで。
極近の席で、おじさんと40代の女の人が話していた。
仕事仲間っぽかった。
おじさんは今月で定年退職するという68歳である。
(どうしてわかったというと、会話の中で二人とも自分の年齢を語っていたからだ)
二度目の退職なのだそう。
そして、今後も働く気持ちがみっしりとあるということだった。
女の人は、ハローワークとかシルバー派遣とか、いろいろとレクチャーしていた。
なるほど〜〜と感心しきりの私であった。
おじさんの働き続けたいという動機はただ一点、
「家に居たくないんだ」
なんども会話に出てきたフレーズであった。
働く人には必ず仕事の終わり時がくる。
定年っていう決められ事であったり、体力と気力の限界であったりもするけれど、どちらにしても終わる時はきっぱり来るもんだ。
コーヒーをすすりながら思う。
アタシ、やりたくないことはやらない人生をと選んで今ままできたのだから、これから先もやりたくないことは、進んでやらないことにしよう注意深く、終わりがくるまで、と改めて決心する。
勝手な行動のようだけれど、これはなかなか骨の折れることでもあるんだ。
覚悟というGOがいることなんだ。
友だちが言っていた。
「生まれて死ぬ。それを一本のリボンのようにつないでいるのが生だと思う」
って。
ときどきリボンを結び直しながら生きないといけない。
ぶさいくでもいいから、きっちりと結びきりたい。
死を考えることは、こわいことでもくらいことでもなんでもない。
それってただ生きることを考えているだけのことだからだ。
死に損ないになんないためにも、しっかりと死について考えときたいと思う。
【今日のぶつぶつ】
公園に行くにはスーパーに行って饅頭を買い食べ過ぎ腹痛で病院をさがしつつベンチに倒れ込まないと、ぜったい公園には行きつけないって、アタシどっかおかしいんじゃないのか?
おかしいながら、まだそれは近道だった。
さっきは、公園に向かうつもりがのっけから京都に行ってしまい、そこで饅頭を食べ過ぎ病院へ。しかるのちベンチは用意されていたが別の公園、だがまあ良しとした。
それ良しとしちゃうところが欠陥か?
公園はすごく遠いところにあるらしい.......。
【今日もまたぶつぶつ】
復習しようとして、毎度のことながら、道をふみはずす。
三歩歩くとすべて忘れる鳥アタマってアタシ?
偶然だけどわかった!こと。
画像をクリックして、ほどよい大きさの画像にするっての。
(どうか明日まで覚えていられますように....できたら明後日までも...)
ついうっかりやらかしてしまって、それでもってまったく方向は違うけど、あああれはこうだったのか?!などと全然違うことなれどおもい知ることってありますね。
幼児らは、日々そんな風なこといちいちして、いろいろ学んでくのかしらん?と思えば、間違ってないのかもしれんな、56才児だって。
公園に行こうとして歩き出すと、スーパーに着いてしまい、ついついふと饅頭を買ってしまい、食べ過ぎ、腹痛をおこし、病院へ行きたいがそれもままならず、よろけながらベンチに座り込むと、そこ公園だった?....みたいな?