おとといイトコが死んだので、長野の姉もやって来て、いっしょに逗子の斎場へいく。
20年ちかく前に離婚しているイトコ(64歳)。
成人した息子と娘が来ていた。
私が彼らを見たのは4~5歳のころが最後だったので、その成長っぷりにまず驚いた。
「わ!Aちゃん?大人になってる!」
と、当たり前のことを口にした。
「ご親族の方から順番に・・・」
で、ふたり一組になっていっしょに骨を拾って壺に収める段取り。
Aちゃんとペアになる。
立派なお菜ばしのような長いお箸を持つ手が震えるけれど、ここは落ち着かなければ・・・と思う。
いちばん大きくて真っ白で、端のところがプックリとハート形のを選び、いっしょに運んだ。
Aちゃんは、生後27日目の小さい小さい赤ちゃんを抱いていた。
ポカリと空にあがった満月を見て、目に残像のあるうちに赤んぼを目に入れる。
どっちもまん丸で、いい重なりだよと、イトコにお知らせ。
2011年9月 9日
友だちと会って、ゆっくり話しをする。
「山崎」をゆっくり飲んだ。
ゆっくり・・・てしみじみ字面を見ると、なんとも変である。
変だけど、「ゆっくり」は心が休憩するもんであるなと思う。
ゆっくりは大事な時間である。
けっこうちゃんと写ってるように見えるじゃん?ね?(どこかに共感を求めたい気分だ)
でもこの画像はダメなようだ・・。
ドアタマノーテン、ば~状態が再び。
デジタルの世界はわからんことだらけ。
ポストカードをのしのし印刷したり、イラストのページを更新(前の記事にイラストを入れたりとかの作業)していて、いちばん更新したいページをおきざりにしている私だ。
版画工房の時間取り攻防戦には惨敗するし(ヨーイドンで工房に電話をかけまくっての早いもん勝ちシステム)、台風はのろのろしてるし。
いいことも一つあった。
それは気になっていた画家さんのブログを見つけたこと。
すごく素敵な文章も書かれる人だった!
どんな画材で描くとああゆうふうに深くなるのかなあ・・と思ってた疑問もちょっとだけとけたし。
瓜南直子さんという女性画家。
ずっと昔に本の表紙で見てから、心にずんっと残っていた絵。
絵本「ぼっこ」、どんな心境そして環境で描かれたのかも知った。
「畑を耕すように描く。今日も鍬を背負って畑に出る・・・」ということをブログに書かれていた。
マクラに顔をくっつけていたら、台風がくる季節になってしまった。
なまぬるーい風が吹きまくっている。
今月から、キモノの着付けを習いにいくことにした。
7月に、申し込みにいったら、
「8月は夏休みということでひと月ないです」
ということだったので、9月から。
昨日、おけいこ前の事前準備として、「持っているもの」と「買っておかないといけないもの」を先生に見てもらった。
「伊達まきがないので、買わないといけませんよね」
といったら、
「ホホホホホ~、お正月にはね~」
「え?はい?」
「伊達締めネ」
・・・・先は長い。
どうしてキモノな心境になったのか。
それは姉の言葉にあった。
今実家のいろいろをはげしく整理している姉。
母がいちばん気にしているのは、茶道具のことと、着物のことであるということを聞いた。
茶道具は・・・お弟子さんや義兄さん(茶道中まい進中)がなんとかしてくれることだろう。
なので、着物関係の一部を引き取ろうかと。
そこで着られないのもなんだし、ここはひとつ「モノありき」にしたがって、着る方向でいこうと思ったのである。
来週、第いっかいめのお稽古である。
伊達まきとヘーキでいってのける私・・・の今後をお稽古の度に、報告していこうと思っている。
【第一目標】母の着物を自分で着て、「ほれほれ、着てまっせ」と披露しにいくこと。
【セカンド目標】自分で織った紬をちゃんと綺麗に着て、自己満にひたること。
(若い頃、一時松代紬の織り子修行をしていたが、仕立てた紬を着たことはなかった)
子どもたちが小さかったころよく読み聞かせた絵本の一冊に「100万回生きた猫」がある。
ふとんに寝転がって、ソファにならんで座ってと、何回も読んだ。
それは何回も「コレ読んで!」と子どもらが持ってくるからだった。
二人とも読み終わった後、かならず枕やクッションに顔をうずめるという行動をとった。
最初泣いてるのか?と思ったけれどそうでもないらしかった。
そして毎回顔うずめたまんま寝てしまうのだった。
きみはさばをくっただろう・・・も。
先日友人から、佐野洋子さんの著書「シズコさん」という本をもらった。
母上のことを主にして家族のこと、育った家庭のことを書かれた本だ。
私は、三回に分けてちょっとずつインターバルをとって読み、読み終えた。
読み終えたのが深夜のふとんの中ということもあってか、枕に顔をうずめて、やはりそのまま朝まで寝た。
昔のあの時の3歳のムスコの気持ち、10歳のムスメの気持ちが今、とてもよくわかる。あの時よりもずっとずっとだ。
佐野洋子、読後行動。
顔になにかくっつけて寝る。
ポストカードのご注文、ありがとうございます!
順次発送しております。
トップページのイラストを一人一人にして9枚と、茶色の犬のカードを1枚。
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カードの用紙は、アラベールという高級な画用紙ってな感じの紙です。
詳細は「お店」で・・・。
24年前の私はそういっていたのだね。
ごめんなさい・・・、なにかにあやまりたい気持ちすらする。
週末の帰省、姉のところで見つけたTシャツにそりゃ驚いた!!
アタシの絵と字だけど、依頼されたことも描いた記憶もまったくない。
でも「長野情報」というタウン誌の表紙を何年か描いていたことははっきり覚えてる。
ちょうど24~5年前あたり・・・だったので、Tシャツの絵も描かせてもらったんだろうな。
きっとびんずる祭りの連用のTシャツだったんだと思う。
これを着て、なんらかの踊りを連で舞ったのだろうか?
中央通りを編集さんたちとねったのであろうか?
もっと驚いたのは、姉はこれをパジャマとして現役使用していたことである。
(取り込んだ洗濯物の中にそれはあったのだ)
なんて物持ちのいい!それこそにビックリ。
2011年夏現在も着られていたTシャツ。
私は姉に懇願する、
「お願いです、これちょうだいっ、タノム」
と。
「う~ん、いいけど高いよ~」
ヴィンテージもんですもんねぇ。
・・・・・・どして「金魚のように踊ろじゃないか!」と提案してシャチホコみたいな尾びれの、ものすごく不細工な【金魚】を描いたのかは思い出せないけれど、金魚に思い当たるふしは満々にある。
金魚、大笑いしてたからね、あの当時。
一枚のTシャツから、あの時代のあの日々が鮮やかによみがえり、(嬉し)泣きたいぐらいである。
8月23日。追記。
あ~、そーだ!山下達郎だ。
♪踊ろよフィッシュ素敵にフッシュ♪って歌ってたもんなあ、87年って。
パクったのか、わし。
ひたすらあやまりたい。あちこちに。
とんだ選択の間違いをしてることに気づいたり、でもやっぱりわからんこともあったりして、それでもなんとかポストカードは出来つつ。
パソコンの画面に出てる画像のデータをそのまま印刷してもダメってことだな・・とわかったり、紙の質(インクの吸い込み具合)によっても、設定を変えないとダメとか。
原画に近づける方法を模索中。
難しいんです、私には、まだまだ。
(●今日の進歩・リンク先から帰る時バツマークでも戻れるし、別表示した画像をバツマークで消しても元のところに戻れるようになったこと。試してみてください!)
今日は少し涼しい朝だった。
犬の散歩も早めじゃなくてもよろしかろう・・・とぐずぐずっとしていたら、雲行きがだんだんとあやしくなっていったので、ぐずぐずは切り上げてスーを連れ出した。
中盤で、早くもポツポツと雨が降り出してしまった!
ありがたいことにスーの「仕事」はもう済んでいたので即座に早足で帰路。
「ちょっと良いめの帽子」をかぶって出たので、濡らしたくない気持ちもあり、早足は駆け足にシフトチェンジする。
アタシとスーの後ろから、女の子の泣き声が聞こえてきたので振り返ってみると、小3ぐらいの髪の長い女の子が自転車に乗ってこぎながら大声を上げて泣いているのだった。
20メートル15メートル、5メートル。どんどん近づく女の子は私と並んだ。
「どうしたの?」
「お母さんが洗濯もの干しにいっちゃって、エッエッウッウッ」
と大粒涙を流しながらオイオイ泣く。
状況は不明だ。
自転車の前カゴに入れた上履きがびしょ濡れだ。
「雨、急に降っちゃよね。カミナリも鳴るしこわいよね~。いっしょに行こ。どっち?」
「家に帰るの」
なんていうことを話しながら、皆びしょぬれになりつつ歩く。
「雨だと涙が止まる」
と彼女はいって、自転車で走り出した。
スーと私はブルブルっと体をゆすって家に入った。
帽子に丸めた新聞紙を詰める。