きのうは、お天気もよくて、蚤の市日和でありました。
来てくれたみなさま、本当にありがとうございました。
また開きます!
次回は春か・・。
蚤の市おもしろこぼれ話は、また後で書きます。
明日はお天気良さそうです!
三鷹のギャラリー・カフェ、テラスでの蚤の市に是非!
井の頭公園の紅葉もきれいだろうな・・。
手芸家みちさんは、こんな布セットを着々と準備してるそう。100円~300円ですってよ。
子ども服や、お菓子もあります。
マフラー、スカーフ、食器類、そうそうブーツも。
寒い雨の日には、こんな準備がはかどる!はかどる!
じゃんじゃん詰めています。
おフランスで昔買ったサーバー。¥500
食器も。バスケットも市にだそうっと。¥1000以下で。持ち手があやういのです。
ランプって書かれたカップ。¥50
絵でランプって充分わかるのに、なんどもなんでやねんっ!
でも・・・そこがかわいかったんですけどね~。
木製のペリカン。カードをくわえさせられます。
目が片方なかったので、ボタンで片目を修理しました。¥100
レンズのケースだったのでしょうか、小さな革のボックス、内側は別珍張りに。¥200
とまあ、いろいろですけど、いかが。
値段、参考価格ってことで書きましたけど、相談応応お~~!!です。
犬の散歩途中でいいこと思いついた!
かずかずのボタンをブローチやらネックレスにしている私であるが、これ、帯止めにも加工できるんじゃなかろうかと。
ボタンの裏につけるパーツをそれ用にすればいいだけでは?
ちょいと嬉しい思いつきだったので、書いておこうと思った。
あとは着付けマスターするだけだ・・・。
黒のバッグを持ってでかけるとき、必ず喉の奥あたりで、もごもごっと、「黒いかばんをぶらさげて歩いているとおまわりさんに呼び止められた~」と独り言歌がでてしまう。
その先は忘れてしまっているので、いちフレーズのみね。
今日は、その後の詩がむしょうに気になってので、検索してみたらすぐ出てきた。
あ~~そうだったそうだった、そんな結末だったと、スッキリした。
泉谷の歌う声で聞きたいと思う。
毎年つくるいちょうの葉っぱのコサージュ。
今朝、犬の散歩のときに拾い集めてきた。
先日の「おしゃれのレシピ」ではこのことを書いた。
コサージュに見惚れるバンビちゃんは手負い。
鹿教湯温泉で湯治させたい。
スーがこんな攻撃するなんて信じられなかったけれど、彼の野生の血が騒いだのだろうか・・・。
母のきものと帯は、いっぱいあった。
たとう紙に包まれていたので、一枚一枚ヒモを解く。
ゆっくり吟味してる時間はないので、チラ見で、今後着るか着ないかを即座に判断していった。
中にはまだ仕付け糸のついたままで一度も着てないらしいものもあるある、ある。
反物のままのも。
「サアヤ(うちの娘)にいいと思って作っといた」
というのもあり・・・絶句した。
「おかーさん、いったいどんだけ・・」
という、姉の声は無色であった。
「フフフ~」
と、音のない声で応答する母。
あたしゃ内心、わかんなくもないヨ、と母の胸中をさっするのである。
母のきものはあたしのボタン的存在だったのではなかろうか?と。
あるだけで満足ぅ~。
ときどき眺める幸ぃ~。
ね、そゆのアリだしね。
さて!と思う。
着付け教室には熱心に通おう!
復習、欠かすまじ。
断腸とシオシオの思いで、タンス解体した母の無念をば、
「ほら、ちゃんと着てるぜよ」
とみごとに晴らしてやろうじゃないか。
さっき、実家から昨日あたしが送った「母のきもの」の入った箱がもう届いた。
玄関先にどどーんと四箱。(今後も届く・・)
さーて、これをどこに仕舞おうかと、とりあえず笑ってみるよ。
来年の春に、実家解体予定なので、姉は、
「雪がふる前に、だいたいの片付けをしときたい」
と、数ヶ月前から、少しずつ不用品をまとめたり、母の希望の品を持ち出したり・・・時間を作り出しては足しげく通っている。
(若槻→大塚、大塚→若槻って、地元の人にしかわかるまい。新宿→明大前って感じの距離かな)
まる家いっけんの片付けは、考えただけでも容易なもんじゃない。
引越しとはまるでちがうんだ!
いちばん頭を悩ますのは「思い出系のもの」の「今後のありかた」なのだ。
わが姉は、真夏の炎天下に干したバスタオルのごとく、カラ~ッとさっぱり清潔な性格である。
大量のブツをちゃっちゃっちゃっっちゃと機械的に仕分けしていく。
しかし・・・「思い出系」に関しては、そうはいかぬ。
姉は本当に困ったことだろう。
どう持ち出し、どこで保管したらいいのか・・・。
姉の家も私の家も、保管場所に余裕のあるような邸宅でもないし。
てか、互いにもうモノいっぱいの状態。
「きもの整理するから来られるときに来てよ~」
といわれていたので、一泊二日で実家に行ってきた。
母も連れ出し、タンスから次から次へときものを取り出していく姉。
「これ着る?」
「着る!」
「コレは?」
「いらないなあ」
合いの手のように、母の発声。
「ああ、それも着ないの?絽だよ。そっちは紗」
(しゃーしゃー、ろーろーいわれても・・)
「それ大島だよ。その帯は名古屋」
(今度は地名か・・・)
「いいものだよ」
(でしょうよ・・・)
「着ない」
「いらない」
「○○伯母ちゃんが染めた帯だよ」
「じゃ、とっとかないとね」
(○○おばさんはずいぶん前に亡くなった。その作品をば捨てられりょうか?)
「それはおばあちゃんの羽織りだよ」
(聞かなきゃ良かった・・・)
「私が持っとくね」
最初に戻る。
の会話の繰り返しをする。
時間がうんとあったら、姿見の前で羽織ったりして楽しい時間にもなりえたことかもしれないけれど、長時間イスに座ってはおれぬ母、残している義母など姉は時間との戦いもせにゃならぬ。
短時間の中での「いる」「いらない」のギリギリな選択、葛藤。
近所のスーパーでお弁当を買ってきて、椅子に乗っけて、ほこりとナフタリンの匂いにまみれながら食べる。
実家で三人そろって食べる食事。
漠然と、この食事は覚えておこうと思った。
まだまだ処分やら整理の日々は続く、姉に。
山のような写真アルバム。
父の細々雑貨、用品、日記。
セットものの食器。
私たちが生きてくのに必要ではないモノは、悲しいかな不用品。
不用品はゴミ。
カラッと乾いたバスタオルでも、絞ればまだまだしたたり落ちる水気を含んでいる。
重いのは、想い。
「あ~あ、もう疲れちゃったよ」
と、笑いながら腰を伸ばす姉に、真のがんばりの正体を見る。
よく、
「がんばろうね!」
とか、
「がんばってね」
といい合ったりするけれど、がんばるっていったいどうすることなんだろう・・とふと思う。
ど根性を発揮することかな。
できる!と思って目標にむかって努力することかな。
どっちもチカラのいることじゃのう・・・。
チカラが出ないときは、どうがんばればいいのだろか。
友だちに「がんばり方がわからない」と小学生なみのメールを送ったら、そく、「私はわかるよ」と返事をもらった。
「それはあかるくいることです」
と。
ココロの釣り鐘をゴ~ンと突かれた思いがした。
中年の「がんばる」には「ど根性」も「チカラ」も超える、ワンランク上のアッハハハ~♪があった。