2012年10月22日
家に帰り、さっそく取り出してみる。
どうやって扱うんだろう....?
前の電話機からの情報移動はどうやるんだっけな?説明書のどこに書いてあるんだっけな?
とハテナマークで頭の中は満杯になっていった。
やればやるほどハテナマークは増殖していった。
ハテナ??が顔面にまであらわれはじめたころ、息子登場。
「おかあさん、それ、なに?」
とテーブル上のいっしょに買ってきた機械その他を指していう。
「なにって...これないとつながらないんでしょ?」
息子は即座に理解した。
「あ〜、うちそれいらないんだよ、そっちのもいらないもの。やられたね」
.....ニヤリ。
ご飯をたべはじめた。
むか〜っときた私。
自分自身にです。
ムチってダメね。
「明日ぜってーモンクいいに行ってやる、そんで契約解除したるっ」
と鼻息あらくいう私に、
「いっしょに行くから。契約解除はまたお金かかるって」
と冷静にいいながらご飯をたべ続けていた。
そして今日いちばんでまた昨日行ったばかりの携帯電話やさんへ、自転車こぎこぎして息子と行った。
今日は、男性店員さんの応対。(昨日の彼女は別のお客さんの応対中)
かあ〜っときてる私の隣で、息子はいつもの静かな態度と口調で不必要な物の解約&返却をいってくれた。
ちょっとぉー!ひどいじゃない!ダマしたのね!をただただ顔で表現していたアタシ。
で、男性店員さんは理解してくれたらしく、なんの料金の発生もなく不要品の返却をぶじ成し遂げたのであった。息子が。
ぼっちゃん、ホントえらい!おいしいご飯をつくり続けた甲斐があった!としみじみ思ったことだった。
昨日、女性店員さんの説明の最中にふと感じた違和感や、ささいな言葉(口癖のように繰り返された「安心してください」とか)やいい回し。
もやもや〜っとした帰り道。
スッキリしなかった買い物には、やはり原因はあったのだ。
原因とは....無知ってこと。
その携帯電話会社名は伏せておこうと思う。
だってまだアタシ、お父さん犬を嫌ってはいないから。
2012年10月22日
二年前に、携帯電話をかえた。
それ以前までつかっていたものが、なにやらなにやらで廃盤になるとかで、いろいろ不都合が生じはじめたからだ。
6年以上はつかってなじんだ愛機、若い友人は
「それ、アンティークな感じさえしますね」
と私の赤くてかわいい携帯電話を指さしていっていた。
かえるとき、電話会社も「のりかえ」というチェンジを行った。
溜まっていたポイントを「高級牛肉」に変換させたなどのいきさつは、二年前のブログにも書いたと思う。
そして昨日、今度はスマートフォンというのにしたのだ。
(どこがスマートなんじゃい?といいたいが、そういう名前なんからそうなんだろうと思う。名前にいちゃもんをつけてもせんないことだ)
マイパソコンとの連動とかいろいろ考えた末、スマートフォンにと決心した。
二年前は息子を伴って行った携帯やさん、昨日は一人で出向いた。
契約内容の変更はないし電話機だけを買うのだから、ダイジョブ!と思って。
前回とおなじ駅前のショップに。
30分の待ち時間の後、若い女性店員さんが応対してくれた。
.スマートフォンに、不慣れであること
.月々の支払いが今までより安くなるようにしたい
と、よくわからないので、なにぶんよろしくと頭をさげた。
店員さんはにこやかに、
「大丈夫です。ご安心してください。ご説明しますね」
といってくれ、細かに説明をしてくれた。そもそもスマホとは...と。
そして即持ち帰りのできる機種に決め、私は契約を進めた。
契約書類をよくよく見ると、「月/70円」という項目があった。
私が不審顔をすると、
「ラバー製のカバーなんです。みなさんお付けになってますよ。スマホはデリケートなものですし、必要なんです」
という。
「私はカバーは好きでないのでいりません」
と、取り除いてもらおうとすると、
「店頭価格よりお安い設定ですよ」
という。
無知な私でも、こういわれると、なんだか全部が信じられなくなってきた。
注文もしてないのに、カバーが料金のセットになってるなんて。
「スマホは電池の消費が激しいから必要なんです。ワタシも使ってます!」
というバッテリーとその充電器。
その他の機械をふたつ。
それらも買うことになった。
ないと繋がらないということで....。
○○サービスはいらないというと、
「二ヶ月間無料ですからご安心ください」
「○○は一ヶ月無料ですので、安心してどんどん映画とか観てくださいね〜」
とにこやかにいう。
無料でもなんでもいらないのに〜。
まあとにかく私もがんばって契約してきたのであった。
じゃっかんのもやもやは残ったものの。
.......続く
2012年10月18日
黒うさぎと穏便に暮らしていたba-san。
ある日、出歩くことを覚えた。
.....もう少しきれいなバッグに....と思っているらしい。
2012年10月18日
この人、昔、水泳の選手だった。
おもに背泳。
じつは姉妹。
姉はカナヅチ。
そしてもう一人。雨ふりだから。
9丁目6番地に住んでいるba-san。梨ずき。
2012年10月16日
今日は、わが娘の誕生日であった。
こんなうすら寒い日、うんうんうなってうなって、やっとオギャーと泣いて産まれたんだっけな。
よかったよ、うなってうなって産んで。
と毎年思えることがうれしいです。
泣いて産まれて笑って暮らそうぜ〜!
刺身用の一杯250円のイカ。
@近所のスーパー。
そのぷっくりとした身体、白く透き通るようなお肌。
おいしいでっせ!でっせ!と私に呼びかけているようだった。
たっぷりのおろし大根でおろし煮にしようか....いかそうめんにしようか.....と迷いながら買って帰った。
パックから取り出し、まな板に乗せ、これは塩辛にしなくちゃバチがあたると、持ち重りさえする肝を感じて即座に思う。
塩糀と日本酒で味をなじませる。
かぼすをきゅ〜っと絞りかけてもおいしいかもと思う。
ちょっと固い部分は、角切りした大根と煮付けた。
どっちもおいしく、イカしたおかずとなる。
自家製塩辛では、イカよりどろっとしたところが好きだ。
ごはんにどろっとかけてまりまりっとかき込むおいしさよ。
白湯にかぼすを一絞りしたかぼす湯はさっぱりしたお湯になり、これがまたイカ肝ごはんと合うのであった。
このba-sanはむかし、おしゃれなおねえさんだった。
若くて背の高かった恋人も、今ではいいji-sanになりました。
「私お味噌つくろうと思うけど、あんたもやる?」
やらいでかいなっ!
塩糀にどっぷりとはまっている「糀の友」が、そう声をかけてくれ、大豆と生糀を送ってくれた。
大豆500グラム、生糀500グラムとレシピもいっしょに。
大豆、糀、塩だけで本当にお味噌がつくれるものなのだろうか?と一瞬思う。
白っぽいもの同士をまぜあわせただけで?お味噌の茶色はいったいどこからくるのか....と。
そんなことを考えていたところ、じわりじわりと眠っていたような記憶がよみがえってきたのだった。
ながの、やなぎまち、祖父のいえ、うすぐらい蔵。
並ぶ樽。
台所と土間のような空間で続いていた怖いほどうすぐらい蔵は、お味噌の糀と、カビ臭いにおい。
おばあちゃんはお味噌をつくっていたんだったと思い出した。
私にとってそれは「おばあちゃんちのにおい」そのものであったのだ。
子どものころだったし、仕込むところを見ていたのか見たことはなかったのか....そこんとこ...覚えていない。
仕込み方も知らない。
ときどき祖母の家で食べたお味噌汁は、ナスやにら(生えていた)が主で、たっぷりと大きなおわんにつがれてだされた。
つぶつぶのいっぱい入っているお味噌汁だった。
届いたばかりの大豆を一晩水につける。
おおきくふやけていた。
翌朝、いそいそとそれを家の二番目におおきい鍋で水煮する。
三時間以上かけてとろ火でゆっくりと。
銀色夏生の文庫本を読みながら待つ。
おばあちゃんは何をしながら待っていたんだろう。
きっと読書などと、そんな優雅っぽい待ち時間をすごしたりはしなかったのではないかと想像する。
煮え上がって、あら熱をとった後つぶしにかかった。
つぶつぶが残るように注意をはらいながら。
甘くさい大豆のかおりが私の台所を支配する。
「しょうゆ豆がね...」「たまりを...」「味噌づけに...」「おてしょを...」
祖母と母の話し声がした。
おばあちゃんの家の台所にワープする。
黒光りする木の床。
すすけたカマド。
新聞紙に包まったおおきな白菜、ごろごろごろ。
わけわからんが、泣きたくなった。
泣いたらあの時のように「泣くな泣くな」といって、梅酒の梅の実を松模様の灰色のおてしょにひとつ取ってくれただろうか。
くれる人も亡いので泣かんとこう。
糀と塩をせっせと混ぜ合わせ(この作業は塩糀作りで訓練ずみ)、つぶした大豆と合体させる。
手のひらでぎゅっぎゅとにぎりながら。
袋にとじこめて出来上がりを待つ体勢をととのえた。
ととのえた袋をにやついてなでていたら、息子が、
「暗いところに静かに保管しといた方がいいんじゃないの?蔵とか」
とクールに正論を述べた。
蔵ないし。
流しの下のところ(調味料のびんの入ってるとこ)に入れよう。
袋をハンカチで包んだ。
ハンカチに包みたい気分だったからさ。
お味噌作りにさそってくれ材料を分けてくれた友よ!!ありがとう!
きっとおいしくできる!
なんたって一回ワープしてきたからなっ。
モーニングバードにひこーき乗り登場!
ダンディーとおちゃめさを両立する男、高橋淳。
アタシの見どころの「塗りまくった壁」「張りに張った床」は写らず。
.....だって撮影場所が....Hさんのお兄さんちだったんだ。(こんなオチ?)
娘んちと思い込んでいた自分がなさけなか〜〜!
息子さん(Hさんのお兄さん)の言葉、
「だって飛んでないと死んじゃうから」
に妙な説得力を感じた。
淳さんの前に登場した12才の男子、カイト君もまたかっこよく、すがすがしい二人の取材だった。
なぜかちょっと写ったカイト君のお母さんが印象に残る。
33才で、14才のお姉ちゃん、三ヶ月の赤ちゃんとカイト君との4人暮らし。
人生いろいろあったのかもっ...。