母からもらったもんぺを見ながら、エプロンみたいな裁断で自己流もんぺを縫ってみた。
東京新聞の「おしゃれのレシピ」にも書いた。
もう少し改良をすれば、けっこうなおしゃれパンツになるかもしれないな。
.......と、いっぱいいっぱいからの脱却をはかってみるも、今夜はムリ。
じぶんのことでいっぱいいっぱいになってると、おもんぱかることを忘れてしまう。
通常ならちゃんと思いをめぐらして対処できることでも、へまをしてしまう。
思いつきでの行動。
それで大事な友だちに迷惑をかけてしまったり、悲しくさせてしまったり.....謝ったところで解決もしない。
反省してもしきれない。
また仕事では、ひとりで空回りしてとんだ感情の無駄づかいもしてしまった。
喜んだり、がっかりしたりドンと落ち込んだりと。
空回りするまえに、考えたり読み込んだりすれば簡単に理解できそうなことでも、いっぱいいっぱいの気持ちでは、それさえもできなかった。
ああ、あたしってっ!
反省をかさねる。
かさねてもかさねてもまたしでかしてしまう自分。
おおらかさの欠如を思う。
今晩はおおらかにワイン一本あけて、あかるい(であろうと期待だけして)明日にそなえるか。
無心に針仕事でもして、いっぱいいっぱいの何かからひとまず逃避してみるか。
借りてきたミスタービーンのDVDでも見ながら寝てしまおうか。
いっぱいいっぱいになるといいことなんかひとつもない。
ちいせえなあ、わし。
明日、友だちの家のガレージでするバザーのために、ちょっとブローチでも作って持っていこうと、年末に買っておいたゲームの駒の木製のテリアに、ブローチピンを接着することを思いつく。
安易なブローチだけど、ゲームはしないであろうから.....駒の運命としてはいいところではあるまいか。(と勝手に納得)
と、しばらく使ってなかったグルーガンを取り出した。
これは熱を利用しての接着剤、しっかりとつくのだ。
みっつよっつと作っていたら、あ〜そうだ!ブローチの台をいつぞや手芸屋さんの友だちがくれたのを思い出す。
白いボタンをびっしりとはりつけ、その上にアンティークボタンをいくつか乗せてはったらどうかな?
ブルーのシャツにつけたいな。
テリアのボタンを指輪にしよう。ひし形のボタンを台にすればいいかも。
材料はそろっているのだ。
思いつきを形に!はすぐできる状態にある。
ついグルーガンをとりだしたものだから、そんな作業に熱中して3時間。
そんな3時間ってすぐたってしまうものだ。
先送り事項にしたまんまだった「壊れたバレッタをなんとかしたい」もついでに実行。
バレッタ復元ではなく、裏の壊れた金具のところにチェーンを取り付けて、ネックレスにした。
細い針金でつなげた後、グルーガンで補強も。
これで落っことす事故はなかろう...と思う。
コレ、ゼッタイ落っことしたくないから!!
あれ?明日のバザーのための物を作ろうとしてたんじゃなかったっけ?
ゲームの駒で作ったブローチ6つと、ひし形の指輪はバザーにだします。
ネックレスは、明日首にかけていきます。
「ボタン盛り」のブローチは、もうひとつ作ったら持っていきます。
明日もお天気よさそう。
千駄ヶ谷駅から鳩森神社を目指して歩いてきて、神社前の五叉路のところを、千駄ヶ谷郵便局の方向に曲がります。
10分ぐらいで郵便局が見えます。そのあたりに張り紙をはっておきます。
郵便局を右に見て、左の辻を曲がってすぐ。
スコット.シューマン(カメラマン)の街角スナップ写真集、「サルトリアリスト:クローサー」の二冊目が昨年でていた。
本屋で見つけてよろこびいさんで買った。
一冊目(重ねた下の本)のこの使いよう...色の組み合わせや、何気ないふつうの人のポーズがいろいろと参考になるのだった。
好きなページに付せんで、付せんだらけになってしまった。
新しい方のブックで今のところいちばんのお気に入りのページ。
左は年配の女性、右ページは男性。
開くたびに、気に入り写真がみつかるものだから、また付せんはどんどん増えることだろう。
縦19センチ、横13センチ、厚みは5センチの写真集はずしりと重い。
この重みを手に乗っけながら繰る楽しみはなかなかである。
神宮前の「J STYLE BOOK」という、本のセレクトショップで購入し、店長さんとちょっとお話をした。
「日本語版で出てたんですね。それに一冊目の値段のほぼ半額で!」
と、つい驚きの感想をいうと、
「そうなんです、中国で印刷されたようです。撮影このあたりでもしてるみたいで、知ってる建物とか背景に写っているし...」
といっていた。(店長、男前)
撮影してるとこ見たい!けど、それにはこのあたりをいつもちょろちょろとする必要があるなあ。
それ無理。
写真集とブログを毎日じろじろ見つめるアタシだ。
昨年、M子さんに作っていただいたバッグは革パンツ生まれ。
おしりを収めていたところに荷物を収めるふうに、パンツを切ったり縫ったりしてくれたもの。
なので脚部分が残っていたのだった。
M子さんのバッグの真似をして、そのまんまミニチュアバッグを作った。
横幅は、太ももの幅。
かぶせの部分には。ボタンなどを縫いつけてっと。
人に、ありがとうといってもらいたがったり、感謝されようと思ってする行為ほどいやしいことはないと思っていた。
先日、遠方に住む友だちからきた手紙に、「感謝しています」という一文があり、目玉が3ミリくらいホントに飛び出すほど驚いた。
何か物を差し上げたわけでもなく、してあげたという記憶もなかったから。
あるアタシのやったことが、なにやら精神的な一助になったということだった。
文面を読んでいたら手が一瞬フリーズし、その後、じんわりきた。
自分自身の気持ちがイマイチ不明ながら、「あれ?私ってば感謝されたことを嬉しがってる?本当は感謝されるってこと望んでいる人間だったのか?」
と疑った。
無自覚なおこないに対して意外と思えるお礼の言葉ほど感動するものはない。
感謝してくれて、感動しました!といいたかった。
なのに、「とんでもねえ...、こちらこそ」とかなんとか濁してスルーしてしまったけど。
昨日会った友だちとちょいと深めの込み入った話を話し込んでいたら、友だちが、
「ありがとうって人にいうんじゃないよ。自分にいうんだよ」
といった。
最近「ありがとう」ということがおっくう(苦痛かな)になっていた。
人にしていただいたことや、うれしかったことにいうありがとうは自分に対していう言葉。
ふけぇ〜!!
私は感謝を習った。
感謝の気持ちの伸びしろが、まだ私にもあるらしいと気づかせてくれたことに感謝します。
本当にありがとう、二人の友!