長野にある、子ども服と雑貨のお店コトリさん。
友だちのブログで知った店だ。
今回の帰省でちょっと寄らせていただいた。
古い民家を利用した店舗は、くつろぎコーナーと洋服&雑貨スペースとなっていた。

オーナーは二児のお母さんだって。
あちこちにセンスキラリ。

まだ見ぬ孫のために、帽子をひとつ買いました。

若い方がこんなふうに古い民家や蔵を改造してお店をひらいている。
カフェ風和もコトリもそう。
どっちも靴をぬいであがらせてもらう。
つよく思ったのは、ちゃんとした靴下はいて行かなくちゃ!だった。
そこんとこ、きっと誰も注視などしてないだろうし気にするほどでもないのだろう。
でも、そこんとこ、自分にとっては恥部だったりして。
ということは、「靴下おしゃれ」して出かけていくお店があるのはいい!!ってことかも。
と二軒のお店をはしごして思ったこと。
「ちょっと行ったとこのお店で待ってて」
と友だちはいったので、友だちの家からほど近いカフェで待った。
そこは、長野市桜枝町の「風和」という名前。
古い家のいいところを生かして、カフェになっている。
100年以上の家だそう。

調度品もいいかんじ。
友だちを待ちながら、飾ってあった本を見る。ウイズビールで。
社会風刺っぽい絵の本は、じゃばら開きになっていて、広げるとすごく長そうだった。
破いてはならず!と思い、そーっと繰ってながめて待つ。

なかでもこの絵に心ひかれる。
エンピツのなぞりで、行司さんの顔を消すようにグシャグシャしている。
なんとなくエンピツの線が子どもっぽく見える。
何が気にくわなかったのだろう?
●嫌いな先生に似ていたから。
●うるさいおじさんにそっくりだったから。
●ひいきのお相撲さんに対し、間違った軍配を上げたから。
などがすぐ思いつくところだが、当たってないような気がする。
もっと...こう....複雑な感情...のような。
「本」にナニカをかきこむというのは、相当に勇気のいることなんじゃないだろうか?と思う。
この絵の行司さんのお顔にエンピツグシャグシャは、なんだかとってもユーモラスである。
この本に載っていた。

こんなページもある。

こんど帰省したおりにまた寄って、反対側から繰ってじろじろ見たい本。

「いろいろ整理」は、ちょいちょいぞっこーしている。
こまかいものとか、紙類とか。
入れ物系は捨てがたくて困りものだ。
このまるい缶は友だちからのいただきもの、ハンドクリームが入ってた。
四角いプラスティックの箱は、粉おしろいが入っていた。
実家の大掃除のときに、拾っておいたもの。
どうします?こういう箱。
いっかいは私、捨てたのだ。
で、やっぱり...きれいにしたらもう捨てられない。

よくあることですか?
いさぎいくないですか?
びんぼーしょうですか?
きっぱり処分できますか?
こんなかわいい箱や缶。
....................................


捨てられるとこだったビーズバッグをいただき、丸洗いしてみた。
古歯ブラシでビーズ面をやさしくこすり洗い。
もどる輝き!
こんなによごれ水でましたもんね。
きれいにしたら....というか....ちょっとでも手をかけたらやっぱり.....。
よくあることですか?
びんぼーしょうですか?
こんな素敵な箱や缶やバッグ。
と「いろいろ整理」はまだまだ続く。
減らされているのか、増えているのかさえよくわからない。

昨年の10月と12月に仕込んだ味噌。
10月くんは優しすぎる性格で、とんがったところがない子だ。
地道に味噌道をまい進してる。
12月くんは、ちょっとグレてしまった。
かすかに嫌〜なにおいを放つのだ。
グレる原因におもいあたる事もある。
素材は良かったのだし、やればできる子にまちがいなかったのに、ごめんね、先生の指導が悪かったわ。
ちがうの、ちがうの、キミのせいじゃ全然ないの。
だいじょうぶ、これからセンセもがんばってみるわね。
キミを見放さすことはないわよ。
さ、ランニングしましょ!
.............私は熱血女先生となり、12月くんを励まし、わけもなくランニングするのであった。
長ネギを荒みじん切りして、10月くんと合わせる。
おいしいです。
またまた生糀到着!

塩とまじませた後、水を少し加える。
で、放置。
それだけなのに、どうしてあんなにおいしくなってしまうんだろう。
塩糀の不思議。

厚着したとき、マントはべんり。
ひざ上まであるレッグウォーマで足下はぬくぬく。
5年ぐらい前になるだろうか....調理&製菓学校の、絵をかかせてもらったバッグ。
ずっとしまっておいたけど、買い物バッグに使うことにした。
学校の生徒さんたちは、教科書や包丁をいれているらしいけど。

犬の散歩なかまで知り合った人とは、名前を知らない間柄だから「ポチのおとうさん」とか「りんちゃんのママ」、、、などと、信じられないほど恥ずかしいけど、そんなふうな呼び合い方の日常だ。
近所の道で、「ボブくんのおかあさん」に会った。
私の持ったバスケットを見て、
「あら〜今朝の新聞に冬でもバスケットを持ちなさいって書いてあったわ。ホントに持ってる人いた!」
といわれた。
そしてぶら下げているまるい毛の玉をさして、
「そうそう写真でも、バスッケットにボンボンつけてた。そのまんまの人いるんだ〜」
と笑った。
ボンボンではなくてba-sanの頭部とか、おとといの掲載、写真とかの微妙なちがいがあるけれど、おおむねのところでは合致していた。
あまりにうれしく、あまりに恥ずかしく....スーのおかあさんはムフムフとした。
←1月21日東京新聞掲載のイラスト
いろんな感情を無駄にわきたたせている私であるが、仕事もしているのである。
友だちに誘ってもらって、あるコンペに参加すべく、それに必要な、民族衣装や舞踏衣装を調べまくり中。
「画像検索」で、ずら〜〜っと資料が見られる便利さよ。
こういうの、ホントありがたいパソコン。
図書館にも出かけて行って、参考になりそうな本を数冊かりてきた。
「その国の民族衣装」とひとくちにいっても多種多様。
中で細分されるのだ。
日本は着物であるが、花嫁衣装とか喪服とか浴衣とか...形態は似てるけど、細部は大きく異なるわけで。
そんな事情をまったくしらない外人だったら、浴衣に角隠しのヘアースタイル...とか描いてしまうこともありえるかもだろう...。
調べてみて思ったのは、メインの被写体の脇に写り込む、なーんてことない普通の通行人の素敵なことだ。
例えば.....大正時代の花嫁さん。
家を出るところの写真には、近所の子どもたちやばあさん方が見切れて写り込んでいる。
顔の汚れたガキどもも。
ばあさんの肩のところにツギのあたった縞模様の着物も民族衣装と思う。
よその国では、髪につける花の位置でも決まりごとがあるそうだ。
いつも「着ることは自由発想。自分に似合うように」とかね、思っているけれど、異国の民族衣装についてはそうもいかない。
異国では外人の私。
知らぬとはいえ、いかんせん「浴衣に角隠し的トンチンカン民族衣装」になりそでどうもねえ。
...............
しかし!!民族衣装は本当におもしろい!
そしてとっても合理的に見える。
これを機会にもっと知りたいとおもう。
ぐっと力をこめて、小動物をすくうように持ち上げる。
ぷるぷると小刻みに動くのは、生存のあかしか?それとも私の震えなのか、判断はしかねた。
ん?
拍子抜けするほどの軽さを腕に感ずると同時に、まるまっていた「ヤツ」はするするとカラダの形を変えた。
あんまりな変貌っぷりにおどろき、私はM字開脚でどすんとしりもちをついた。
ヤツはきっぱりとした長方形になったのだ。
裏側は有名ブランドのマークがたっぷりと入ったつやつやなブルーサテン地でできていた。
不安、恐怖、驚愕、唖然、なんだこりゃ、安堵、虚無。
魂がうずまく紫色のけむりとなって、私の口から昇華していった。
両の手で毛皮ショールをささげ持ち、M字開脚で雪の上に座り込む女、打ち捨てられたコート、シュールな光景だ。
不安から虚無に移行していった感情はいっきょにカシャーンカシャンカシャーンと合体して、巨大な怒りに変身していった。
怒りスーツに身を包んだ私は、喉のもてる最低音でつぶやいた。
「っざけんなよ」
手にした小動物、改めショールをおもいっきり投げつけてやるも、ふわ〜〜っと舞い上がるだけのそれは、まことに残念なことだった。
舞い降りたショールはまた雪の上で次なる発見者(えじき)を待つ体勢を早くも整え、今度は長々伸びた伏せの姿を決めた。
じつに、.....見事だ。
座り込んだり投げつけたりと、いきなりアクティブになった私によろこんだのはスーだった。
「え?あそんでくれるの?」とじゃれついてくる。
怒りは瞬間にして歓喜にかわる。
動物たちがもたらす感情のゆさぶり。
ありがとうスー! ってこんなオチ??
スーさんお気に入りのこの道、ショールの製造元にちなんで、これから「セリーヌの小径」とよぶことにしよう。
セリーヌのために抜けてしまった私の魂をとりもどすことを願いつつ.....。
おわり
今朝のこと。
深雪を踏みしめつつの散歩に出た。
あいかわらずうれしくってたまらんっ!という犬からリードを介してうれしさが伝播してくる。
ゴルフ場のわきの小径はとりわけスーさんの気に入りロード。
さくさくと行進する私の目に、ふと何かがかするようにとびこんできた。
それは真っ白な雪のくぼみに、何かがうずくまっていたような?そんな画像が。
いや〜な予感がよぎった。
この小径で我々は、たぬきやハクビシンとばったり遭遇することがたまにあったのだ。
ゴルフ場の林とか山のほうに住んでいるのだろう。
なので、そいつらが雪の上で行き倒れた可能性を考えた。
見てしまった以上、素通りするのは気がひけたんで、確認すべくかすった「不安な画像」のもとへ近寄った。
それは、トラのような毛並みにも見えたし猫のようにも見え、もうなんだかさっぱりわからなかったし、生死さえも不明であった。
小動物であるらしいことはまちがいなかったので、私は思い切って声をかけてみた。
「ねえ、どうしたの?」
丸まっていて顔もしっぽも見えないが、腹のあたりの部分がちょっと動いたように見えた。
きゃ!
救出しなければ!の思いがこみあげるも、恐怖もその倍こみあげてきた。
得体のしれないこわさは、57才の図太くなった神経をもちぢみあがらせる。
い〜や......ここでみすててなるもんかっ!の気持ちがやや優勢になり、とりあえず獣医さんに運ぼう...という決断を下だし、手袋を二重にはめた。
(お出かけ用のちょい良いめの革手袋もコートのポケットに入っていたので)
雪上から小動物を救い上げたらすぐさまコートに包んで運ぶ算段をし、着ていたコートを騎士のようにさっと脱ぎ、広げて置いた。
あっためてあげようという天使なココロではなく、ちょっとでも小動物との間隔を開けたくてです。(手袋二重も同様なココロ)
心臓ばくばく、顔はカッカ、手はぶるぶる。
「ねえ寒いよ、早く起きて山に帰れば?寝てる場合じゃないっしょっ、ねえったらさ」
などと大きな声でいっては自分励ます以外に方法は思いつかなかったし。
私の昨今にはない大きな勇気をふりしぼって、そーっと小動物の下に手を差し入れた。
こわくてこわくて涙がでそう、かつ、ちびりそうになった。
スーは雪の中に鼻先をつっこんで、そしらぬ素振りを貫いているばかり。
..................続く

新雪を踏み。

「オレのあとについてきな」
コーモンをよりキュッとしめ、ぶいぶい歩く姿のかっこよさかな。