ブログやフェイスブックで、お雑煮の画像よく見かけた。
地方々によって色んな種類がある。
名古屋のブログ友のところでは、お餅と餅菜という葉野菜だけのお雑煮だと書いてあった。
九州では(ムコ殿の出身地)味噌仕立てで豚汁のような具にお餅を入れるのだと。
以前に聞いた九州の友だちは、アンコ入りのお餅で味噌仕立てのお雑煮だといっていた。
実家のお雑煮は、おすまし汁だったが、いくらが乗っかっていたような気がする。
ナンシー関さんのエッセイに「正月のハードル」について書かれていたのがあった。
昔(といってもナンシーさんが若い頃)は新年を迎えるにあたり、やらなければいけない事柄がずっと多く「これをしなければ年を越せない!」強迫観念にも近かったと。
特別で神聖感さえある日々。
年末年始は家族みんなで過ごし、年越しカウントダウンコンサートだとかに子ども同士で行く事など暗黙のうちに許されなかったと。
みんなそうだったよね〜と思った。
1977年の年末、私は東京の下宿先のアパートの一室でたったひとりで正月を迎えようと決心した。
それは「決心」という言葉でも使わなければ、決行できないほどの大決心であったのだ。
女子ひとり、年末年始を過ごそじゃないか!と。
なぜか緊張と興奮で胸は高鳴っていた。
ワクワクワク。
セブンイレブンは、文字どおり朝7時から夜の11時までの営業時間のころであるが、当時31日や1日は営業してなかったし、もちろん多くのお店はお休みだった。
灯油も買った。カップラーメンも買った。
買いだめなんぞし、越冬隊の気分で備えた。
ほしかったMJQも買った。
そして意を決して母に電話をし、年末は帰らないむねを伝えた。とたん怒られた〜〜!こっぴどく。
「バカをいうんじゃないっ」
そりゃ愚娘であるが、帰省してくると疑わなかった娘が帰ってこないとなれば、怒るであろうな。
電話は父に代わり、怒られ×2。さらに倍、ドン。
それはまあまあ想像していたことだったので、
「卒業制作が間に合わない。年末年始もやる。提出が間に合わないと卒業できないから」
と宝刀をぬいてやった。(ウソじゃなかったけど)
父母、ややひるんだようだったが、正月をひとりで過ごすことは残念ながら許されることはなかった。
「31日から親戚の家に行きなさい!」(@鎌倉)とすぐさま伯母と連絡を取り合ったようで、伯母からも電話で、怒られ×3。
「絶対にうちに来ること」といいわたされ.....。
伯母は私のことをあわれに思ってくれたらしいが。
そして、すごすごと伯母の家に向かったのであった。
お節料理やあったかいお雑煮がたっぷりと待っていたが、私はアパートに残してきたカップラーメンやジャムパンを愛しく思っていた。
今思うのだ。
あの時、理解されづらくとも本心をいうべきであったなと。
「ひとりで年越しをしたい。特別な日をひとりで過ごしたい」と。
「どうして?」
と聞かれたら、説明できなかっただろうけどさ。
なにかを見たい.....という想い。
今年も家族全員で年末年始を過ごした。
娘は結婚したので、お雑煮のお椀の数も増えた。
スーさんにもお餅ひとかけら。
幸せなことだと思う。
これから先、望む望まないにかかわらず、ひとりで過ごす年末年始がくるやもしれんだろう。
しかし強く望んだ「1977年あの日の過ごし方」だけはもはや訪れることはない。
22のアタシの見たかったものは、いったいなんだったのだろう。
老眼が進んだ今じゃぜったいに見れんもんだっただろう。
「ホホホの本田」をいつも読んでくれてありがとう!
本年もよろしくお願いいたします。
昨年からの持ち越し事項はいっぱいあるけれど.....家族そろって年を越せたことを寿ごうと思います。
昨日は、「雨トーク」がどうどうの5時間放送。
さすが全部は見れないけれど、なんとか「絵心ない芸人」のコーナーだけは逃さずによかった!
相変わらずの迷いのない線で描かれるいろんな絵に感動する。
前回放送された「絵」を、シャガール風やピカソ風、はたまたウォーホール風にアレンジされたものが披露された。(プロが加工したらしい)
それらは、新たな作品となっていた。
描いた本人たちは大よろこびしていた。
ゴッホ風にアレンジされたライオンの絵はすばらしい!と思った。
が、アレンジ前のほうが私は好き。
下手とかさ、うまいとかさ、そんな区別なんてもともと絵にはないもの。
アタシも、お絵描きは楽しい!ただそんな気分で来年もいけたらいいなと、雨トークを見ながら思った。
退院した宮迫氏は、番組の最後の方だけに顔を出した。
「帰ってきてくれてありがとう」の、相方ほとちゃんの言葉に泣きそうになってた宮迫さん。
来年も雨上がりの、「絵心ない芸人」のくくり、楽しみにしてまっせ!
年末ムードは満々だ。
スーパーにちょっと洗濯洗剤を買いに行っただけなのに、長蛇のレジ列に並ばなければいけなかった。
ではではと、せかされるようにお餅の大袋と、鶏肉の大パッケージを買い物に追加した。
エネルギーチャージ用に「サクサク感がギッシリ!」でおなじみのCRUNKYチョコを一枚。(大好物)
大掃除は台所からいくか....いや?まずは外回り(玄関の外とか、前の道路の脇のところとか)からか?とちょっと悩んだ後、それは明日いっきょに攻めよじゃないかと決め、今日は自分の身辺整理をすることにした。
これは少し前から進めている作業なのだった。
アクセサリー入れの小引き出しの中身を三分の一、いや半分にまで減らそうとがんばっているんである。
自分で作ったもの、友だちが作ってくれたもの、買ったもの、もらったもの、気に入っているもの、そうでもないもの。
金めのもの、チープなもの....思い出系、記念系。
いっぱいあるのである。(金めのものはいたって少量だ)
整理しながら考える。
アクセサリーっていったいなに?
こーゆーこと考え始めると、深みにはまってゆくものだ。
「なぜ人は装飾品を身につけるのか」
「ジュエリーとはいったい」
「美しいものの力を借りて我をも美しく見せたいから?」
「楽しいアクセサリーをつけて自分も楽しい気分に浸りたいから?」
「お金持ちの場合、財力を見せつけたいから?」
以前、息子に「すごいよ!!マサルさん」というマンガを借りた。
マサルさんは、肩に輪っかのような、それはそれは「重いもの」をいつも装着しているのである。
そしてめっちゃ強い。セクシーコマンドーという技持ちで。
その強さのヒミツは、肩の輪っかのパワーにあり!とにらんだ宇宙人は、それを狙うのである。
しかし....その輪っかって、ただのアクセサリーだったのである。(マサルさんがそういった)
アクセサリーの輪っかをつけていなければ、力が出ないマサルさん。
私はピアスをつけていないと、パンツをはき忘れたような気持ちになる。
たいしたもんじゃないけど、なくちゃ困るのかも。
アクセサリーって、そんなものなのかな。
CRUNKYをかじりながら、サクサク身辺整理を続行しよう。
25日すぎると、年末加速がつくようだ。
はっ!今日はもう27日!びっくりする。
雪はふらないけれど、きーんとした寒さ。
トップページの絵も入れ替えた。
...しかし...なぞだぞな....。どうしていつもトップイラストはボケるんだろうか?
う〜ん、年末課題である。
今年中に解決したのだが〜。
ポータブルDVDもいまだ解決を見ず。
機械の内部事情はわからんことばっかだなあ。
私のベッドの友....ポータブルDVDがこわれてしまった。
むすこが「なおせるかも」と内部侵入してくれた。
主な工具がつまようじというところが、ちょっとこころもとないが、軸のところにからみついた髪の毛をみつけ、「これだ!」つうところまでこぎつけた。
これ、航空写真に見えませんか?
広い球場、体育館。
点在する家々。
なんだかきれいで見とれた。
「こんな細かいの、ハンダ付けした人がいるんだね〜」
と感嘆の声をもらす私に、
「いや、機械がつくるし」
と息子は静かにいい、つまようじ作業を続けた。
で、結果、からまった髪の毛を取り除いても、DVDは直りませんでしたが、
「まだ思い当たるふしはある」
と、えらいぞぼっちゃん。
母は気を長くして完治するのを待ってるからね。
娘がケーキをつくってきてくれた。
「いちごが売り切れてたから、缶詰のフルーツケーキになった」
ということだったが、うまいぞ!おじょうちゃん!
ピーナッツドールはバネでびよんびよんしながらケーキを見つめていた。
けっこうなクリスマス。
アクセサリーではブローチを胸の真ん中にどんとつけるのがいちばん気に入っている。
動物チャームのネックレスも好きで、タートルネックセーターなどに合わせてつけている。
ピンクの皮製のは、もともとは犬用のチャーム。
裏側に名前と電話番号を記入するようになっている。
ほら、迷子いぬになったときに困らないようにの。
スーではなく自分用にネックレス仕様にした。
ライオンはプラスティック。
なかなかのポイントになる。
おなじみテリアのチャームはイギリスの古いものらしい。
昔、鎌倉の洋服屋で買った。
店員さんが古いチャーム好きで、年に数回買いに行くのだということだった。
革ひもを通してつかっている。
水牛はTORRESというお酒のビンの首についていたもの。
ヒモを通してネックレスに。
赤いコートに緑のスカート。
布バッグはシルバー。
もうすぐクリスマスだしと、気分でいってみた。
なんだかちょっとウキウキっとしてくるものだな、クリスマスカラーって。
まんま三色だとなんなので、ボリュームのある黒色マフラーをしっかりと巻く。
タイツは「外し色」で茶色に。
木でできたブローチをマフラーに付けた。
ちょっとの時期だけのアクセサリーは進んでつけないとね〜っと。
コートはずっと以前に買ったものだ。
なんとなく着る機会も着る気持ちもなかなかわかなくて、しまいっぱなしだった。
それが.....やはり.....似合うようになる年ってくるものだ!
年をかさねるにしたがって発生してくるいいことや似合うようになる服。
それは「歳」がくれるプレゼントだと思う。
私のba-sanたちには、毛皮のショールを巻いている人たちが何人かいる。
それは、似合うから着せているのである。
ba-sanに毛皮はとてもよくマッチするから。
.....という偏見にもちかい(?)思いから、私もけもの系のものをこの時期よく身につける。
毛皮の付けエリであったり、ショールであったりと。
おもいきって今日は、ショートコートを着てみた。
なかなかのボリュームと重さのある昔の古いコートである。
「多摩センターにクマが出た!」
と猟銃会の人の麻酔銃覚悟で着ている。
毛皮は、けっこう貫禄がではじめた年代の人が着ると、こ粋なのでは?と思う。
毛皮が持つゴージャス感が、年代に合わせて減っていくナニカを補ってくれるからだ。
しかし「ゴージャスをまとってますぜ!」なもろ出しは恥ずかしいもの。
で、バッグは軽めなバスケットにしてみた。
重×軽で、バランスがとれるのでは?とふんでいるのだけど、どうだろか。
もともと古着が好き!というのもあるけれど、けもの系のものはゼッタイにセカンドハンド物を手に入れること!と決めている。
まあねちょっとでもね、ホント気休めだけどね、新たなね、そういった殺生ごとのアレをね.....。
コレはもうず〜っと前になっちゃったものだしね、大事に着継いだ方がさぁ。
....ね?
私はスーさんにクンクンされながら、なぜかいつもアレコレ言い訳をする。