一日、一枚A4の紙に料理のレシピを書くことにした。
これはひと月後、料理初心者の友だちにプレゼントするために。
簡単で失敗しづらくて、しかもおいしいメニュー。
どれだけの調理器具を持っているのかわからないので、まずはパスタあたりから書いてみた。
●オリーブオイルはダシと考える
北村光代先生から教わったことも書き添える。
料理上手ではまったくないけれど、毎日毎日ふつうのごはんを作っていれば、30枚ぐらいのレシピは書けるだろうと自分に期待。

ポテトサラダ、キノコ汁、コロッケもどき、タケノコのみそ汁......。
待ってろよ〜、一ヶ月後!
「早いわね〜、もう一月も終わるのね」
のフレーズ、毎年の今日、きっと誰かからは一度は聞く。
二人、三人のこともある。
ほんのちょっと前にお正月をやったばかりなのに??って気持ちが強いからだろうな。
「早いわね〜」
に、かすかな残念感のにおいを感じる。
1月31日に罪はない。
今日誕生日の友だちに、おめでとう!をいう。
きりっとした空気の中で、年が重なります。
今日は、いい日でありますね。
いばらの道ですでに行き倒れている私、好んでこの道を歩き始めたわけではないのはいうまでもない。
ウインドウズと手をとりあって歩んだこの12年も、私にとっちゃあそうそう楽なもんじゃなかったのだ。
特殊なことはできないけれど、それでもコピペだってもうすいすい〜っとこなせたし、原稿用紙仕様で文章だって書けるほどにもなっていた。
HPの更新だってめんどうくさくもなくこなせるしね〜。
家人の仕事のいろいろで、デザイン事務所で使っていたMacが家に持ち込まれたのは昨年の暮れのことだった。
それは新しくって、バージョンもすごいらしくて、本体もモニターもデカく重いものであった。
「使っていいよ」
と言われたけれど、いいよもなにも....、私にしてみれば棚からのぼたもちには全然思えなく、ただただ頭の中はハテナマーク?????で埋め尽くされた。
「???どうして?なんで?今使っている私のWinのパソコンになんの不便も問題もないのに??『使っていいよ』となぜにラフ〜に言われるのか?」
と。
棚からイガグリとしか思えなかったので、
「使わないよ」
と、そっけなく答え、
「変えたらどんなメリットがアタシにあるの?」
と純真無垢な気持ち質問したところ、このひとことが家人の逆鱗にふれたようで(あくまでピュアな私であったのだが...)
「ならいいっ!」
と、デカく重いMacは長く廊下に放置されたのであった。
はっきしゆって、じゃま以外のなにものでもなかった。
とある日ポツリと息子が一言、
「おかあさんのモニターは1万円。こっちのはその10倍以上するよ」
こと金銭カンケーに敏感に反応してしまう私、ちょっとだけ首が前に出た。
家人も、
「使ってよ」
と態度を軟化してきた。
なら...と歩み寄った私である。
昨日、うちのぼっちゃんの親切で、セッティングされたそれは堂々と私の机の横に。
その場所はいままでWinが置かれていた場所である。
Winは、背後の棚に今置かれているので、私は二台のパソコンにサンドイッチされた状態にある。
電磁波で気がふれたりはしないのか?が心配なところだ。
(ちょっとだけ思う。モニターだけもらっとけば良かったんじゃ?と。アフターザフェスティバルですけど。)
とまあこんないきさつがあったわけです。
今日一日さわりまくってみて、大きくてサクサクっと作動するパソコンになったことは棚からチョコレート?と思うまでには。
いばらのトゲで満身創痍中。
どっかに逃げたいなりよ。
commandっての?便利そうなにおいがするけど、どーなのこれ?
切り取り、張りつけってどーするんだ?
一回聞いた(読んだ)くらいじゃ覚えられない道程。
甘くはなかったぜ。
あさって締め切りの原稿は手書きになるのか?
「おかあさんといっしょ」だったっけかな?
♪でーきるかなできるかな♫.......というの。
今、できるのかを激しく試しているところである。
文字を打つのもなかなかに苦しいもんである。
使い慣れたウインドウズから、マックへののりかえは、ドコモからソフトバンク携帯へののりかえとはどえらい違いがあるようだ。
キーボードもな〜んか微妙に違うし。
右クリックがないじゃんだし。
でも困ったことばかりでもなく、
●ほぼ二倍になった画面は老眼にやさしい。
●コード類が激減したよって、足にからまる紐が少なくなって安全に。
●いろいろ早く動く。
(でもこれってWからMへでって関係なさそ)
と、ここまで書くのにもヒジョーに大変だった私である。
この選択はいばらの道への序章なのか、はたまたなにかいい方向へ向かう福音なのか?
単に機種変ってことなのか。
今日のところは、さっぱりである。
できるかな?
いーや、やらないと!!
レギンスについて、2~3年前にいろいろ書いたっけ。
ズボン下→スパッツ→レギンスと名前をかえて・・・とか。
それからもずっとレギンス愛用者で居続けている。
最近気に入ってはいているのは、裏起毛のレギンスだ。
これはとっても暖かい!
ナイロン100パーセントなのでコットンのものより圧がかかり、ピタッとする。
厚手のタイツという感じかな。
なので、ほこりとかゴミとかピピピッと吸い取ってしまうところが難点でもある。
が今は暖かさを是非に優先させたい。
下半身の冷えはこたえますもんね。
静電気防止スプレーと、「コロコロ」は手放せないけれど。

マットで暗い色目のコートやジャケットを着ることが多い今日このごろ。
襟元にキラリのブローチで、光をプラスするのがいいかなと思ってよく付けている。
バルキーなニットの袖口から、ちらりと女らしい腕時計やブレスレッドをのぞかせるもの好きな付け方だ。
これも冬ならではおしゃれの一つ。
丸いブローチは、イギリスの土産で、25年前にいただいた。
四角いブローチは、フリマで。
ブレスレッドは、駅前のセレクトショップ(・・・てか洋品店にて)手に入れた。
ひんぱんに付けるきらきら三点がこれ。
午後9時。
スーが私をあまりに玄関方面へいざなうので、夜の散歩へ。
ドアを開くとそこは雪国であった。
なぜわかる?どんだけ雪好きな犬なん?
出てすぐに、酔っ払いのおじさんとすれ違う。
おじさんは、前後左右上下に揺れながら、セルフ合いの手も上手いこと入れて演歌っぽい歌をうたいながら向かい側からやってきた。
まるで絵に書いたような酔っ払いの姿であり、薄く積もったばかりの雪道に、それはみごとなまばらな足跡がおじさんの後に続いていた。
おじさんは、うれしい酒を飲んできたのであろうか。
それとも、そうでない酒だったのだろうか。
どちらにしても、静かな雪の降る道を歌いながら浮遊する今は、相当な幸せ時間では?と、なんだか思う。
酔っ払って見る雪は、きらきらとより輝き、雪が車の明かりの形になす光景を楽しむのは、酩酊ならではの至福だ。
雪との一体感、同化。
ひとつぶひとつぶに宿ってるものが見える。
最近、こんな至福を味わってないなあと思う。
スーと一回りしての帰り道、おじさんの残した足跡は、新しい雪ですっかり消えていた。
友だちの息子の卒業制作の作品を見がてら、友だちに会ったりするために家人と小平のムサビへ。
ここはわれらが母校でもあり、郷愁にひたれるかな~と思いながら行ってきた。
デザイン科の学生の作品、多くはアレです、デジタル。
当たり前だけど、そうなんだー・・・と眺める。
油絵や、彫刻の作品群は見ごたえがあった。
ぐっとくるのもたくさん。
写真を撮り忘れてしまったけれど、日本画で「干し絵の具」を使った作品があった。
大きい画で、きのこをびっしりと繊細に描いていた。
干し絵の具ってどんなのかなと興味深く見た。
妙なかっこうだったり、食いつきそうな顔つきの学生はいっこうに見当たらず残念。
一人で校内を歩いてみたけれど、懐かしさもなにも・・・建て替えやら建て増しやらしてあって、もうなにがなんだかな~であった。
一箇所、ここ!この手すり。

昔のまんまであった。
このあたりに集まっては友だちといろいろしゃべっていた。
もう一箇所、「思い出の手すり」を見てきた。
「ここから飛び降りて死ぬっ!!」
と階段のところの手すりに乗っかって叫んでいた友があった。
みんなで大騒ぎしたような記憶があったけど、今見ると死ぬもなにも・・・・ネンザすらしそうもない高さじゃないの?
あれはいったいなんだったのだろう?
若さってバカさ。
手すりをさわりながら苦く笑った。
学校で待ち合わせたご学友と。
記念の写真をとりましょうね~(って島倉か?)

打ち合わせでもしたかのような、黒オーバーコートに毛皮な襟巻き、ベージュの革手袋て・・・。
タツローとの約束通りに、雨は雪にかわった。
朝の散歩。
ぐるぐるまわる、ころげる、わお~んという。
落ち着けよ、そこの犬っころめが!
木につないで、しばしクールダウンさせる。

一巡りして帰宅するも、玄関先でひともんちゃく。
「もう一巡りしましょうゼ」(スー)
「家にはいろうよ」(アタシ)
「ひさしぶりの雪なのに?」(スー)
「・・・・」(アタシ)
「ハッハッハ」(喜びの鼻息が上がるスー)
「・・じゃ、もうちょっとだけね」(負けるアタシ)
でも家にもどると一目散にこの通り。

今年6才になる犬っころですが。
